合同製鐵で(1990〜1998)


1990年9月合同製鐵に入社し、本社に3ヶ月勤務した後、現場を勉強せよとのことで大阪製造所に3ヶ月、姫路および船橋製造所にそれぞれ1ヶ月勤務した。
大阪製造所は旧大阪製鋼、姫路製造所は旧日本砂鉄、船橋製造所は旧船橋製鋼で、それぞれ歴史を持っておりまた製造品種にも特徴があった。
役員就任前に半年間の事前勉強が出来、人を知ること、現場雰囲気に直接触れることが出来たこと、各所の歴史と環境を知り得たことはその後の業務に大いに役立った。
役員就任後は技術最高責任者の新実専務の下で常務を1期、その後専務を2期、一貫して技術部門を管掌した。
ここに私のほぼ8年に及ぶ在任の中から、私の想いと反省を記してみたい。

1.業務の改善に関連して

私は管理者とは、現状を打破することに存在価値があり、仕組みを変えない管理者は居なくても良いと思ってもいたし部下にも言ってきた。
その観点から、業務遂行上の問題を見出し、改善策を打ち出そうとした。 業務遂行の仕組みにはこれが正解というものはないが、無駄な作業を極力排除することは管理者の責任である。 しかしながら仕組みには、それぞれのいきさつがあって出来あがっているもので、最初は抵抗も多く動き出すのにパワーも必要としたが、動き出せば後はエナーシャも付いて進めることが出来た。
しかしながら技術部門主体で進められるものは進んだが、他部門が主管する関連業務は当然のことながら、下駄の底から足を掻くもどかしさを感じたものである。
事勿れ主義では変化の時代に追従する事は困難である。 ある国営企業の部門責任者が、“その製品が良いとは思うが、私の時に購入仕様を変えて、もしその製品に事故があったら困る”と言われた事が思い出される。
恐れていては何も出来ないので、まずは変えるのだと言う事が大切であろう。 日常のルーティーンになっている仕事ほど見なおす事が肝要なのだろうと思っている。 どこでも同じであるが、月間の各種成績をまとめて検討する、その時々で関心事は変わっているので、資料の内容も適宜管理項目が変化すべきであろうが、なかなかそうはなっていない。 人が少なくなればなるほど、重点思考してポイントを絞らないと無駄が生じるように思う。 管理項目を変えるようにすると、それらが項目として追加になるのでは、なかなか言い出せなくなってしまう。
業務改善の一環としてパソコンLANを導入した。 情報の迅速化、平準化、共有化を目的のひとつとし、例えば技術に関係する外部とのコンタクトは、すべて直接メールするよう依頼し、しばらくは担当者からメールが来ていたが、その内にだんだんと細ってきた。 その代わりにまとまった月報として報告があるようになったが、本当に欲しいのは、役に立つのは料理された情報でなく生の情報である。 生煮えで出して誤った情報を与えてはいけないとの配慮か、あるいは出しても反応が少ないから次第に細ったのかはわからぬが。

2.中期計画の策定に関連して

合同製鐵は当時高炉を保有し、高炉一貫メーカーの末席に位置していた。 この高炉の寿命時期を迎え、高炉の捲替え(再整備)をするのか、あるいは高炉から撤退するのかが重大事であった。
高炉で生産される銑鉄は、高級軟鋼線材に使用しており、需要家にも高い評価をいただいていた。 高炉休止のためには、電炉でこの高級軟鋼線材を生産する必要があり、この技術開発を急いだ。 原理的にはシーズははっきりしている方法であるが、世の中に例を見ない技術であり工業的には未知の技術であった。 この技術の開発には多数の関係者の莫大な精力を費やし最終的には可能性を見出すことが出来た。
これにより高炉から撤退することが出来たが、その間の最適解を求めての関係者の血の滲む努力があった。
一方では可能な限り高炉の炉命延長を図りたいと、種々の延命対策を講じたが、バブルの崩壊による鉄鋼不況が最後の引き金を引いた。 技術的には炉況不調が頻発し、適切な対応策が取れなかった事も足を引いた。
この技術開発と平行して、高炉休止を中心とした中期計画を策定し実行に入ることになったものの、周囲の環境は予測以上に悪化し、所期の目的を達成することが出来なかった事はかえすがえすも残念である。
この計画はいわば肥満体を3年計画でスリムな体型にするもので、引き続きスリムになった体型を強靭な体質に変える為の第2次中期計画へと引き継がれた。
中期計画の策定はその中にある数字も大切ではあるが、本質は進もうとする方向を関係者全員が周知し、前提条件が変わってもその中期計画をバイブルとして、その考え方に基づいた軌道修正を行う為に策定するものと思っている。 今までにこのような計画は数え切れないほど策定したが、期間が完了したときにその通りになったことは殆どない。 しかしながら基本的な考え方は踏襲されたものである。
問題なのは、この計画をどの範囲まで公表するかにある。 基本的考え方のバイブルであるなら少なくとも社内管理者には徹底する必要があるが、ともすれば付帯的な位置付けの数字だけがセンセーショナルに一人歩きを始めやすく、不要な範囲まで広がり不毛の混乱を巻き起こす事がある。 経営としての最高戦略であり、作戦要綱でもあるものが、外部に漏れたのでは競争に生き残る事はおぼつかない。 この問題の解答は今後も見出せないのではなかろうか。

3.技術開発に関連して

電炉業が今日の隆盛を迎える事が出来たのは、電炉製鋼法に画期的なプロセス改革の成果を取り入れ、コスト競争力が付いた事が主要因である。 このプロセス開発は、電炉業において開発を自ら行うだけの体力はなく、高炉メーカーにより開発された技術を活用し発展させたものである。
一方、製品開発については、電炉業の製品は、主として汎用品であり、製品面からの差別化は遅れていたと言わざるを得ない。 最終需要家との接触の少ない、いわゆる店売主体の販売体制もこれに拍車をかけていた。
汎用品と言っても、需要家には使用に当たって材料に対する要望はあるはずで、これの把握が不充分であったと反省している。 指示はしたものの待ちの姿勢でいた事が悔やまれている。
合同製鐵では、線材のみは需要家と直につながった生産を行い、密度の高い連携プレーによって需要ニーズを把握し、対応する体制が運用されており成果も挙げている。 が、この体制が出来ない建設分野業界の体質にも問題があろう。
需要開拓とはニーズに適合した製品を供給する事により、既存の材料からの転換を図るもので、そのためにはそれ相応の技術開発が必要である。 大手高炉一貫メーカーのように、シーズ研究から行うだけの技術力は無いが、需要家のニーズが的確にわかれば、既存の技術の範囲で対応できるものもある。 鉄鋼製品専門に取り扱う問屋は鉄鋼製品流通の要であるが、需要家ニーズの流通の要にはなっていない。 したがって、最終需要家に直接コンタクトし、トータルコスト削減の観点から新たなプロセスなり製品を生み出す事が必要と考える。
例えば需要家の工程で、端部を30センチほど切り捨てなければならないものがある。 圧延工程では端部の不完全部を切り捨てて端から端まで完全な品質を保証して出荷しているが、単長6mとすれば、需要家の切捨て比率は5%にもなる(成品価格4万円と仮定すれば2000円)。 今や圧延までの工程で5%の歩留を向上する余地はまったく無いほどこの値は大きいものである。 面倒な事はせずに、所定の価格で売る事が出きればそれで良しとするのではこの隠れたメリットは埋もれたままになろう。
価格が勝負を決める汎用品大量生産方式と、個別ニーズ対応品質作りこみ生産との接点を何処に求めるかが、今後の問題である。 後者の比率を上げたいと思ったが戦力不足と執念不足で果たせなかった。 
その中にあって鉄筋の接合に摩擦圧接を適用した商品はヒットであったと思っている。 当社が参入して以来、最近参入するメーカーの殆どは摩擦圧接でありこの技術の採用が誤りでなかったと喜んでいる。

4.電炉製品品質問題に関連して

たまたま合同製鐵に入社したころ、世上では電炉製品の品質問題が喧伝されていた。 いわくJIS規格の厚板を溶接したら、2枚板になった(板の中心から分かれた)、いわく強度が外れた鉄筋棒鋼を規格外品として出荷したら、規格品扱いで使われ、強度外れが発覚した、いわく材質試験不合格品を鉛筆をなめて合格にしているなどなど。
マスコミではJIS認定工場でどうして無規格品が製造されるのか、などと見当外れな記事が出たりもした。
この問題は業界にとってもきわめて重大な問題であり、姿勢を正すべく普通鋼電炉工業会に品質委員会を設置し、業界としての統一した管理体制を取ることとなった。
当初は監督官庁との折衝が多く、在京の会社の副社長が委員長となり発足した。 各社ともJIS認定は取っているので、基準となる水準にある事は工業技術院が認めているのに不祥事が多発したので、すわりが悪くなったためであり、座りなおすために管理のあり方を統一しなければならなくなった。 純然たる技術問題ではなく考え方を統一しようとしたので、これには各社の事情がそれぞれあり、最後には委員長の影からの天の声まで出て決着した。 これを普電工の品質管理マニュアルとして纏め上げ監督官庁の了解を得る事が出来た。
その後執行猶予の観察期間が数年間続き、この委員長を4年間受け持たされた。
鉄鋼販売の連合会から、無規格(ムキ)品の販売を止めて欲しいとか、ミルシートを各社統一して欲しいとか、あるいは注文とおりに出荷して欲しいとかなどの要望に対応したり、新しい建築用鋼材のJIS制定への意見整理や、その他関係業界から持ちこまれる技術問題を処理した。
この貴重な経験から得たものは、電炉業界では技術の開示が殆ど無い事である。 年2回開催される鉄鋼協会の講演大会に電炉業から発表される論文は殆ど無い(国内生産の25%以上が普通鋼電炉なのに)。 先にも書いたが、既存の開発された技術を導入し大過なく使いこなせば、それに見合った成品が大差ない品質で出来てしまうので、技術力研鑚の為の投資効果が見え難い事、また技術を開発しても開発者メリットをいつまでも保持したいと囲い込んでしまう事などが原因であろう。  また自社の問題を持ち出して、そんな事をいまだにしているのと笑われる事を恐れているのか、何事についても積極的な発言が無い事が目に付いた。 自分の所で出来ていない事は他社でも出来ていないはずで、周知を集めて解決しようといったような、同属意識はまったく無かった。(高炉会社でも上流の工程にはこの意識が高く、下流になるほど薄れてくるものではあるが) 案に対してかろうじて賛否だけは表明があったので、委員会としての活動は出来た。
せっかく国内生産の3分の1から4分の一の比率と言う貴重な地位にありながら、穴倉に閉じこもっているのでは、いつまで経っても眠れる獅子ならぬ猫でしかなかろう。

5.技術協力

以前は主として後進国から製造技術の協力依頼が相当あり、それに対応していたが、ここ10数年以上技術移転は中断していた。
私の在任中に東南アジアから数件の申し出があった。 その中で実現したのはタイの電炉会社からの技術指導の要請のみであった。 国内の現状では新鋭設備に触れる機会は殆ど無いので、絶好のチャンスと思い積極的に対応した。 2名の派遣からスタートし4名まで増員した後、タイのバブルの弾けとともに中断をしてしまい、残念ではあるが貴重な体験をしたと思っている。
派遣者に期待されるものは多岐にわたり、個人的能力のみでは対応しきれない事、また出し側として個人に任せっぱなしではどのような技術が提供されているのかが判然としなくなるので、インターネットのメイル機能を使い、派遣者へのバックアップ体制を作った。 この事は会社として全面的に技術協力をしていると言う証にもなり、先方の会社も評価していた。
これにより、先方へ提供した技術データは一元管理が出来、また口頭の指導でなく文章で渡す事が出来た。
とにかく、後進国では人材が不足しており、また経験を積むとより良い条件を求めて、転職して行く事から、会社としての技術の蓄積が困難である。 この点に配慮し、指導を通じて所謂技術標準が出来上がる事を目標に指導するよう派遣者に指示した。 確かに派遣者のコストは現地採用者の数倍の費用がかかるが、それを上回るメリットがあるように思う。
いずれ経済状況の回復があれば、再び依頼が出てくるものと思うが、彼らの設置する設備は、今や国内では見ることが出来ない新鋭機械であり、これに関与することで出し側にもメリットが残るものである(費用の折衝時に先方からこれを持ち出され、敵もさるものと感心した)。
タイを始めとした東南アジアの鉄鋼から見た状況についての感想は別に述べているが、技術面からは興味ある地域であり、今後注視していく必要があろう。

6.その他 

インサイダー情報に気を付けながら、今後逐次回顧を付け加えたいと思います。

合同製鐵における経歴
平成2年9月 合同製鐵株式会社入社 (参与)
平成3年6月 常務取締役 生産技術部、システム部、市場技術部担当
平成5年6月 専務取締役 生産技術部管掌 (3部統合)
平成7年6月 専務取締役 全社生産技術に関する事項、企画部管掌
平成9年6月 顧問
平成10年6月末 退社