アマチュア無線は King of Hobbies とも言われる。

戦後日本にアマ無線が解禁された時にこれに熱中した。


   
短波放送受信  
   
小学時代に鉱石ラジオ、中学生になって真空管を使ったラジオを自製し、中学の先生、隣近所などからラジオの製作を請け負い、大阪日本橋まで部品を買いに行き数台のスーパーヘテロダインラジオを作った。
2014/1/21
古い写真を整理していたら中学3年か高校1年に自作したラジオの写真が出てきたのでここに記載する。


写真の裏のメモ書き。真空管を7本使ったスーパーへテロダインのようだがここに書いてある真空管名はすでに忘却の彼方だ。
それらのアルバイトの収入をもとに、自分の受信機を増強して行き、短波が受信できるようになった。 始めは世界各国の放送局を受信し、受信記録(受信周波数、時間、放送内容等)を送ると確認証を送って呉れます。 いかに珍しい国の放送局を見つけて確認を取るのかが、その頃の最大関心事で、珍しい局を見つけ確認証を手に入れると雑誌に投稿、 採用されると雑誌を送ってもらえるので小遣いの倹約になった。
myshack1.jpg (26921 バイト) 受信機と壁に貼ってある受信証

受信機は当時の最先端のGT管(ガラスの変わりに鉄製の真空管)を使用したダブルス−パヘテロダインである。

シャシーはアルミ板を使った自作で、穴を開けるのが大変でした。

受信した周波数を正確に測定する為の水晶発信機を使った測定機を左手で操作しています。

   
短波放送からアマチュア無線へ  
   
その内に、ハムバンドの存在を知り、ここをウオッチするようになった。 戦後日本ではアマチュア無線は禁止されており、雑誌などにもアマチュア無線についての記載は無い頃である。 当然アマ無線が使われる周波数帯(ハムバンド)はモールス信号が主体で、音があるとしても英語が主体で、日本やグアムに駐留している軍人が大出力の送信をしていた。
ハムバンドをウオッチしていると、中に日本語が混じるようになり、法を破った局がちらほら出るようになった。 これを聞いているうちに自分も波を出したい欲望が膨らんできた。
雑誌には電波を出す方法など書けるわけも無く、高周波に音声を乗せる(変調)ようになるまでには、試行錯誤した。 高校1年の時オーディオの出力管を使い、自製のコイルに極板を間引いたバリコンでハムバンドに電波を出す事に成功。 JA3UCと言う勝手に付けたコールサインでアンカバーを開始。 水晶発信子もなく(勿論オッシレーターも無し)トライアルエラーの積重ねで、今考えてもよく出来たものと。
高校同級生の安田君も電波を出していたが(彼は姫路の市内私は20Kmほど離れた田舎)、ある日家の周りを警官に囲まれとっつかまったことを登校して聞き、得意の仮病になり自宅にとって帰りアンテナを倒すやら送信機を分解して隠すやらの大騒ぎ。(この件約半世紀後に本人から警官に取り囲まれてはいないと訂正申し出があった事を記載せよと言われた)
   
アマ無線局の開設  
   
昭和28年アマチュア無線解禁、高校3年の時でさすがに手が出ず、昭和29年大学入学と同時に受験、夏には無線局開設。
平成20年4月追加
探し物をしていて当時の無線局免許状(初回更新免許)が出てきた。珍しいのでここに記載する。というのは、右の写真をクリックすれば分かるが、中程の「無線設備の設置場所」が、陸上:全国、海上:日本周辺海域、上空:全国及び日本周辺海域上空となっている。しばらくして上空の記載は無くなったはず。(最近のことは知らないが・・・) 「空中線の形式」がダブレットになっている。波長80mと40mの免許であり、長さ40mとか80mの巨大なアンテナを上空に運ぶのはナンセンスなのだが・・・。 初回の免許状にこの記載があり、更新時に理由無くこれを削除できなかったのであろう。

昭和29年7月 JA3QL を開設(押し入れを改造)

下段が受信機、中段上段が送信機、最上段は2mBand試作機

従事者免許証は29年10月になっている。でも夏休みには開局したのだが・・・

shack.jpg (23824 バイト)

JA3QLで大学卒業まで80m、40mバンドで帰省時のみ活躍。 32年正月のコンテストには80mバンドで2位入賞。

このときには、日常使っている7Wの送信機では歯が立たないので、臨時に50Wの送信機を組み、音声用のアンプは中学校の全校放送用のアンプを借用し、リヤカーを押して落ち帰り使いました。

当然大学ではアマチュア無線部に、部室は時計塔のてっぺんにありそこに遠藤さん自作の2mバンド無線機が設置されていて暇なときはよくそこから On air したもの。 同期のJA1AMM滝沢君とも休みで帰郷した時ラグチューを楽しんだ。

昭和30年代後半になると、アマチュア無線の普及が急速に進み、狭いバンドが超満員でよき時代のロングラグチューが出来ず、味気なくなった事、メーカーが送受信機を市販するようになり、ハードに対する話題が技術から財布に移り次第に興味を失ってしまった。
King of Hobbies と言われるアマチュア無線の世界にせっかく足を踏み入れながら、リタイアした事にかすかな悔悟の念はあるが、それに変わるものとしてインターネットが補ってくれるようになった。
QSLカード
1954年に作った私のQSLカード。

このカードは無線局を開設したとき(昭和29年)に作って交信記録として交換していたもの。 どこかにしまい忘れて出てこなかったのですが、今回はダンボールの箱を全部あけたら出てきました。

大学卒業後30回位転居しているので、それだけの運搬回数と、40数年の時間に耐えたダンボール箱から、学生時代に写したカラーフィルムと一緒に見つかりました。

そう言えば、もらったカードが未だ出てこない。JA1AAさんからと言う希少価値カードもあったのですが。

写真製版で作ったので、原版もらっていたのですが、これは廃棄した覚えがあり今回出てきた数十枚が残されたすべてです。

オレンジ色と、青色があり 3.5MHzバンドはオレンジを、7MHzバンドは青色を出していました。 青のほうは相当色褪せています。