大学の4年間熱中しました


テニスとの関わり

小学生のころから中学時代にかけて近所にテニスコートがあり、父の使った古いラケットもあったので近所のガキ連中とテニスを始めた。

高校に入りテニス部に入部したものの、一年生はボール拾いとコース整備だけに失望して一学期で退部。 3年の時校内大会で優勝したのが唯一の記憶。

大学入学と同時にテニス部に入部、同期入学400名のこじんまりした学校ゆえすんなり入部と同時に公式戦出場枠5組に滑り込めた。 一年の秋4年生の先輩の前衛で品川区民大会で優勝。 人口30万の姫路では参加すら出来無かったのが、80万の品川で優勝とは思いもかけぬ事。早くから負けた部員は応援に回ってくれた、田舎からのポット出は知らなかったが優勝戦の相手は全日本ランキングの常連だったとか、終わってから教えてもらいその配慮に感謝したもの。

Takase & I (16Kb) 2年から卒業までパートナーだった高瀬君と、彼は石川島に就職後もテニスを継続。

卒業後は電話のみで会うことも無く現在に。

ちょっと出過ぎるとサーブをぶっつけられたもの。 tennis1.jpg (18317 バイト)
彼の安定したストローク、私のスマッシュで相当な成績を上げた。

ランクの低いリーグではあったが、勝率は今年のヤクルトよりは良かったと思う。

公式戦は関東学生リーグ、四官大戦(東大、一橋、教育大、工大)、その他金属科対抗戦(東大、早稲田、工大)3工科大学戦(大阪、名古屋、東京)などがあったが、文系にはどうしても勝てず公式戦では参加する事が目標。 工科だけの試合ではほとんど負け知らず。 工科系は座学以外に実習などがあり、どうしても練習時間不足になる事が原因と勝手な分析をしたもの。

tennis3.jpg (16205 バイト) 公式戦になると試合前にこうやってエールの交換をする。

これによって段々と気持ちが高ぶって来て。

相手がこうやっている時に写真機を持ち出すのはちょっと

 

下の写真は、昭和30年夏休みの会津での合宿。 同じコートで高校生の国体選手の強化合宿をしていたが、交流試合で我が部は殆ど全敗した。 ここに写っている人が居られれば連絡願いたし。

このページを見た八島君から当時の彼の日記の一部を知らせていただき、わたしの持っていた写真とあわせたものがここにあります。

Training camp(31Kb)

関東リーグは4部までで4部はトーナメントで開催されていたが参加校が増えて6部まで膨れ上がり、それまでの成績で6部に振り分けられた。 なんとか4部まで失地回復を合い言葉に精神鍛練に勤め(練習は時間が取れないので)、卒業までに4部復帰を果たした事が部暦に残した最後の仕事であった。

春と秋の週末は毎週公式戦があり、1年春から4年秋までほとんど全ての試合に出たと言う事はオフスクールの時間をテニスに消費してしまった事を意味している。 ほかにレジャーも無くただ自然に時間を過ごした結果である。 幸せな時代だったのかもしれない。

就職後しばらくは周南地区健保大会とか市民大会とかに誘われていたが、練習無しに出かけても身体が動くはずも無く青春時代に大きな比重を占めていたテニスから離れてしまった。