終戦直後の神辺スキー場

firstski.jpg (19721 バイト) 始めてスキー場に足を踏み入れたのは、終戦直後(昭和21年か22年)に兵庫県にある神辺スキー場で、食糧難の時代で神辺に行けば米の飯があると父に連れられて“御飯”を食べるのが主目的であった。

もちろん御飯と、ごちゃ混ぜの具の入った味噌汁は忘れることが出来ないものであった。

kannabe1.jpg (18229 バイト) 朝、スキーを担いで滑る所に行った時、このシュプールを見た。

新雪の斜面をジグザグに登りその横を登りと同じ振幅で降りてきたいるシュプールが特に印象に残っている。

この写真は、50年を経てようやくダンボールの中から出てきたもの。

私だけの想い出ではあるが、50年前にこのような滑りをした人がいたというエビデンスでもある。

光製鐡所スキー同好会

kuroware.jpg (8186 バイト) 昭和34年山岳同好会が催したスキー講習会に参加、ヒッコリー単板、カンダハー、皮製のスキー靴に手持ちのナイロンのジャンパーで滑ったのが病み付きの始まりとなった。

山口県冬季県体で入賞

いつのことか忘れたが、台山で行われた県体に光市選手として始めての入賞を果たした。(滑降の部2位)
腕前ならぬ足前以上の成績を得たのは、下から吹き上げる強烈な吹雪、ターンが2個所しかなかったことに対し体重60キロ、205センチの板にテニスで鍛えた足腰の強さでクラウチングが出来たことだけであった。
kentai.jpg (8179 バイト) この写真は何年か不明であるが、県体の光市選手団。

左に翻っているのは岩国市の旗。当時岩国には朝日鉄工に国体の上位入賞選手が多くずば抜けた存在であった。

後列左端が私

スキー部長

昭和40年頃、職制では係長のとき同好会の部長を引き受けた。 当時の部員が“部長、部長”と言ってくれるので“部長はうれしいが、部長以上になったらどう言うのかね”と冗談を言ったりしたもの。
部員の殆どが三交代職場であり、冬のために休暇をため込み、同僚の年休をカバーし、冬になると伯耆大山で足前を磨くと言う涙ぐましい努力もあって、日本スキー連盟の本部技術委員、ブロック委員、指導員等を多数輩出し、光製鐵所のスキー部が山口県のスキー連盟をリードするようになった。 残念なことに鉄鋼業の伸びの低下とともに採用が減り、人材不足でシニアばかりになって衰退。
昭和50年頃お情けでバッジテスト1級に合格。合格させてくれた部員に申し訳なくバッジを汚さない滑りまで精進。

大山スキー場

スキーの90%以上は鳥取県大山スキー場。夜行列車とバスを乗り継いで行く事から始まり、自家用車等利用し金曜夜出発、日曜夜帰着が標準工程であった。定宿は当初雪花荘、ホテル大山、最後はロッジサノで特にロッジサノには道具とウエアーをシーズン中置いていたほど世話になった。
lodgesano.jpg (17771 バイト) 昭和62年スキー部の大山講習会にて。

前列中央が私

最近のスキー

平成3年から、毎年2月に蓼科に昔のスキー部が集まり、愉快に滑る事を日課ならぬ年課としている。誂えの同じウエアーを纏い人目を引くオジンの団体で気勢を上げている。 光からの参加は12時間程度走りに走っての参加であり、仲間意識に頭が上がらない。感謝感謝!!

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平成10年の蓼科スキー

2月11日
10時に自宅を出発名神を走って、諏訪湖に着いたのが15時ごろ。

宿に早く着いても仕方ないと連れが言うので車山で一滑り。 頂上までリフトで上がって見ると、八ヶ岳の端に富士山がはっきり見えていたので、これを入れて証拠の写真を一枚。(所がデジタルカメラには写っていません。信号処理で消されたようです)

実はスキーを購入後初めての使用なので、ベースワックスをたっぷり塗って、削ぎ落とさずに来たので、車山の駐車場でスクレーパーで簡単に落として頂上まで上ったものの、まるでスキーの裏面に糊が付いているような感じで、斜面に立っても、じっと止まったままで滑ってくれず、気持ちのいい滑りにはなりませんでした。

それでもリフトが止まるまでの時間を目一杯滑りました。

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蓼科の山荘に6時頃付き、夕食後ワックスを削ぎ落とし、滑りのためのワックスを塗っている所に山口勢が到着。

にぎやかな宴会になり、その後カービングスキーの講習とか膝の使い方とか机上レッスン会になって初日が終わりました。

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2月12日
早朝5時半からワックスの処理と仕上げ(おまけに他人のものまで)、天候は不順で雨模様。

この天候では視界も悪かろうと、エコーバレーに行く事にしました。 しかしながら雨交じりの悪天候なので一番上には1回上がっただけで、中段で基礎レッスン会になりました。 下着までびっしょりになったので3時頃には老人組はギブアップ。

宿舎に帰り着替えをして、蓼科温泉の野天風呂に行って暖まって帰り着いたころ、スキー組も帰ってきました。 ”あの後、雨も上がり、雪温も下がり、絶好調でしたよ”との事。(クヤシー!!)

夕食後は誰がここのビール代を出すのか決めるための麻雀組と床の上でのスキーのレッスン組に別れてそれぞれ有意義な時間を。

2月13日 ピラタスでの集合写真
朝から雲一つない上々の快晴。 蓼科で一番高いピラタスに。

真っ先にロープウエイで山頂まで。南アルプス、木曽駒、御岳、北アルプス、八ヶ岳と素晴らしい眺望。

此処でビデオを撮ったりして楽しんだ後、昼食は恒例の焼き肉パーティー。

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その後、スキー場をはしごして、2in1へ。 此処でリフトが止まるまで滑りまくりました。 私は途中頂上から50mほどスキーなしで滑り、休憩後中段だけの基礎スキーを。 19twoinone1.jpg (18191 バイト)
夕方には、また温泉に行き、夕食後はビデオを見ながらの鑑賞会と批評会。 約1時間の映像を3回も見てそれからプリントごっこ。 腹を抱えて笑いまくりました。

 

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2月14日
朝から小雨、山口勢はそのまま帰途に、大阪勢は最後の滑りにピラタスへ。 終日券を買ったもののひどいガスで元も取らずに退散。 信玄の隠し湯で有名な滝の湯で疲れを取りました。

宿までの帰り道で、狭い道で車がすれ違えず、あちこちで渋滞。 宿の近くでベンツが雪に差し込んでいて“どうされました”と尋ねると、前方の坂がスリップして登れず、バックで帰ろうとするとここで滑りどうしようもないとのこと。“タイヤはスノーですか”と聞けば“スタッドレスです”と胸を張った返事、“チェインはお持ちですか”と尋ねると持っていないとのこと。道をふさがれて帰れないので、バックして大回りして宿に帰りつきました。

スタッドレスでも凍結した道ではスリップしてしまうので、チェインとスコップは冬の山道の必需品なのですが、メーカーの宣伝が行き届いているのか、無知なのか過信なのか、迷惑この上もなし。

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2月15日
夜半からの雪で、車の上には30cm程度の雪が積もり、雪落しの後9時出発で帰路に。

途中中央道で事故通行止めになり、有名な恵那トンネルを迂回して、一般道の峠超えになりました。

おかげで昼食は中津川の“くるまやの蕎麦”を食べることが出来ました。

3日間の疲れもあって、ハンドルを握ればすぐ眠くなり、顔や足ははむくんで、さすがに年を感じました。

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