年功序列給与体系から業績給与体系への移行

  最近、新聞紙上で年功序列給与体系から業績給与体系への移行が話題になっています。 一時期職能給与体系が幅を利かせたことがあります。  これもその後の要員合理化の障害になりました。  要員減をカバーする残された人の職能給を上げることができないからです。
  業績給与体系も特に若い人の支持を得ているようです。  確かに変化の時代になり、経験豊富な人ほど変化に対する適応性に問題はありましょう。
  とは言え、本当にばら色の世界なのでしょうか?  業績を評価するのは人間です。 ここに大きな問題があるように思います。 人間には自己中心性バイアスを持っています。 これが業績評価時代に落とし穴を作り出す恐れが多分にあります。
  私も30年以上部下の評価をしてきましたが、これが本人の収入の極く一部を占めていた時でさえ、頭を悩ましました。 この比率が高くなるとしたら、どうやって正当に評価すれば良いものか途方に暮れるでしょう。(現役を引退したので、悩まなくてすむことに内心ほっとしています)
  今や企業活動はグループ活動になっています。特定の個人だけで仕上げられる仕事は殆ど無いといっても良いでしょう。そのグループを個々人に分割して評価するというのは神業です。
  人間は自己愛が大変強い動物で、自分が誰より一番苦労し、誰よりも最も貢献度が高いと思い込みます。 これを自己中心性バイアスと社会心理学では言います。
  なぜ自己中心バイアスが生じるのか、社会心理学者ミッシエル・ロスは次の3点を挙げています。
1.人間は、自分の言動には連続的に注意を集中できるものですが、他人の言動には一時的にしか注意を向けられません。
  残念ながら人間は相手の立場に立って物事の推移を見られないものです。 と言うことは、部下の業績評価を冷静に行おうとしたら、上司たる者は業績評価を行う前にまずは意識的に部下の立場に立って、物事の推移を考えてみる習慣を付けることが何よりも大切になってくるわけです。
2.人間には行動を論理的に推論する際、他人の言動はわかりにくく、自分の言動はわかりやすいという至極当たり前の特性があります。
  そこに業績に付いて目に見えぬ苦労をしたと参画した人全員が思っているのです。 自分こそ、最も貢献度が高く、最も苦労したと思うものです。
3.人間が内包している自尊心の存在があります。 私たちは、どうしても自分の言動を過大評価してしまうものです。
  自分の貢献度や影響力が高く強いことを他人に認めてもらいたい、評価してもらいたいと、考えがちです。 これら自己中心性バイアスがある以上フェアな評価など百に一つもありえません。
  業績をフェアに評価するためには、上司の部下に対する評価を明らかにし部下も上司を評価し双方の評価の差異を調整ないし修正することが可能な具体的な仕組みを作ることではないでしょうか。
  とは言え、農耕民族で浪花節的日本人にはとても出来ることとは思えません。それでも業績給与体系が優れているのでしょうか。
  社員のボーナスを少しずつ圧縮して財源を作り、成果報奨をドントしようという案がありました。  成果報奨なので、ある事例に付いての報奨で一時的なものということをよく本人に上司から説明することでモチベートするという仕組みです。  私は趣旨は結構だが、本当に正当に成果を評価出来るのか、次回はその分減少することになるが良いのか。  本人と上司間だけで話すのではなく、全社的な場で堂々と業務報奨として既存の社長・所長報奨制度を使って件名をオープンにして表彰すべきと主張しましたが受け入れられませんでした。
  給与制度というものは難しいもので、自分が若い時にはなんで何もしない人が年功だけであんなにもらうのだろうと思ったり、歳を取ってみると昔思ったことをすっかり忘れているのですから、人間っていいかげんなものではありますね。