都知事選に思うこと
都知事選は無駄票になるかな〜、でも投票しておかないと最後の1票で決まる事もあるかと思いながら雨の合間を見て19時ごろ投票に行った。私の選択肢は今のデタラメな政党政治を目の当たりにして、政治屋は排除し、庶民とは言わないまでも物事に対するセンスが自分に似ている人に投票したが、案の定無駄票になってしまった。 当選した石原さんに付いては、マスコミは有権者は強いリーダーシップを求めたと論評している。その点については否定するものではないが、選挙で選ばれながら“や〜めた”と議席を投げ出した、無責任さは忘れられている。節操の無い既存政党に籍を置く馬鹿馬鹿さと既成組織の中での無力感に耐えられなくなったのであろうが、国の政治を放り出しておきながら、今回は国の事をやる為に東京の事をやると公言しているのは気にかかる点である。でも165万票を集めて知事になる事が確定した事ゆえ「既存価値観の破壊者」と言われる石原さんのアイディアに期待するしかないし、大いに期待したい。 |
それにしても、翌日には保革双方から公約に対して反論が出た、野呂田防衛庁長官は横田基地は殆どが国有地であり、日本から基地の返還を言い出す事は無いとか、共産党は職員の人材会社からの派遣と言うアイディアについて厳しく対決するとコメントしているが、アイディアと言うものは誰も言い出さない所に新規性があるのであり、現状打破には既存の仕組みをブレークスルーするしかないものと思う。しかるに政治屋たちは既得権益を守る事に汲々としており、対案なしの反対論を繰り広げるだけではますます政治不信が広がる事に気が付かないのであろうか。都市部を離れると、地縁血縁にがんじがらめになった、封建時代の遺産である集団意識が健在であり、保守票の比率が高いが、都市部ではこの意識が希薄になっており、既に政党意識は無くなっているのではなかろうか。自社対立の頃には保守に対する批判票が社に流れていたが、社が政権党になり、絶対反対で議席をあれまで伸ばしながら、消費税の増税の片足を担ぐと言う致命的な背信行為が、無政党派を拡大してしまったものと思う。 |
政党不信論はさておき、都知事選の告示前のテレビ討論会で気になった話があった。ごみの収集に携わる人の平均年収は1000万とか。収集する品目別に曜日を決め時間を決め(午後の収集時間なんて聴いたことが無い)週休2日の半日仕事でこんなに取ってどう思うとの質問に三上さんはだんまり作戦だった。 都の財政を立て直すには、箱物の処理と人件費の圧縮、外郭団体の整理が必須であろうが、この中で人件費の圧縮に人材派遣会社の活用と言うのも一つのアイディアではある。 しかしこれも、都が設立しOBの天下りで管理職を一人占めし都だけを客先とすれば(外郭団体の殆どがそうなっているように思うが)骨抜きの案になってしまうが。 さて、都の職員の削減についてであるが、テレビ討論で何万人削減すると大見得を切った候補者が多かったが、実現可能性のある具体的な案は示されなかった。確かに合理化可能な仕事は沢山あるのだろう。私は窓口業務しか接点が無いが、神戸にいた時には、特に震災後の窓口は昼休みであっても受付けてくれたり、対応に不満は無かったが、東京に来て見るとやはりこれがお役所かと思う事が多い。で、その窓口業務などは所謂ルーティン作業であり、事務合理化の余地は多い。このような人の創造性を必要としない仕事は思い切った合理化が必要である。 このような仕事でも、直接その業務をしている人は目の前を資料が流れ、データが流れ、決められた手順で処理する事に自分は仕事をしているのだ!と言う充実感を持っているものである。 また例え不合理感を持ちながらしているとしても、自分の業務を合理化するには仕事の前後に関係先が存在し、関係先に仕事の仕組みの変更を折衝する事の困難さを考えて言い出さないし、言えば例え建設的なアイディアでも他の部門から見ると自分の所の仕事振りを非難されているように受け止められギクシャクしてくる。 |
ここにリーダシップの出番があるが、リーダーが問題点を指摘し改善を命ずるだけでは、真の改善は進まない。そもそも、年功序列の世界では、年功を積み上げる事により得た経験がその人の財産であり、その財産が現在の地位を保証しているわけである。したがって仕事の仕組みを変えることは、財産である経験を無価値化するわけで、このような事に取り組むわけが無い。リーダーから指示があってものらりくらりととぼけて時間稼ぎをする例は嫌と言うほど経験した。 トップが真のリーダーシップを取るには、中間管理者層にそのイズムを植え付け信奉者を作らねばならないが、得てしてトップの在籍寿命より中間管理者の在籍寿命のほうが長いと言う難しさが存在する。新進党政権時代に新進党に擦り寄った大蔵の次官が自民政権になってはじき出されたとか、これまた例は数え切れぬほどある。 |
国鉄がJRに変身したとき、各社に民間から部長級を採用した。しかしながらたった一人が落下傘で着陸しても意味が無かったように思う。部長級の大半をトップから直接任命にすべきであろう。 知識や経験の無い人に出来るものかと言う反論がすぐ出るであろうが、そのような能吏は必要不可欠であるが(部下に)こと管理職に付いては民からの活用のほうに旗があがるであろう。 情報の公開は、少なくとも官は税金で運用しているのでありユーザーはその税金を納めている民である以上当然のことであろう。 何故官が情報公開にこだわるのか?当然のことながら「知らしむべからず、寄らしむべし」の考えがあるからである。トップと共に中間管理者を総入替えすれば、隠すことも無くなるであろう。 年功序列を廃し、情報公開を進め、中間管理者層を一新すれば伏魔殿も少しは刷新されるであろう。第三セクター問題や外郭団体問題などは情報の公開により激しい批判を浴び自ずと整理が進むものと思われる。 |
新都知事に期待したいものである。 |