天下りは罪か?
防衛庁の過大申告問題を始め官がらみの不祥事が発覚すると、必ず天下りの問題が世情をにぎわす。 対策として退職後は以前の地位と関係る会社には2年間は入れないというような制限を設けたりしている。 これすらマスコミでは短いと非難している。
本当に天下りは悪なのであろうか。この問題について、意見を述べてみたい。
天下りを受け入れる方から見れば、落下傘部隊などは長年その会社で苦労した人に報われるべきポストが減るわけで、従業員のモラルの点からは好ましいものではなかろう。
しかし、天下りを受け入れることで業績が伸びるならば、必ずしも反対されるものではなかろう。 受け入れる側の論理はここにある。すなわち受け入れることにより掛かるコストより、メリットが多ければ成り立つものである。 そうであれば、退職後何年も経った人よりも、元の職場に影響力のある人の方が良いに決まっている。メリットがあるならば中途半端な2年間の経過処置など廃して、どしどし進める方が活性化になるであろう。
悪と言われるのは、天下った人に期待することが、その影響力をテーブルの下で発揮してもらい、同業者を出抜き正当な競争を阻害するところにある。そしてその被害は殆どが税金でまかなわれている所に発生している。官も民も一般大衆もこの“税”に付いて他人事のように考えている所に問題があるように思う。
一方、退職する側から見れば、長年サラリーマンをして、社会的には他人に認められる地位にいたとしても、55歳くらいで退職を勧告されるのでは、たまったものではない。
一つには、長年の仕事を通じて身に付けた“技”があり、この“技”を社会に還元する時間が無いまま退職することになり勝ちである。これを活用しない手は無いと思う。 高級サラリーマンになると、本業のほかに管理職としての役割があり、なかなかこの“技”を発揮する機会が少なくなってくるものである。
次に退職後の生活の問題がある。何しろサラリーマンの所得は100%把握されており、認められる経費も知れており、十分な蓄えさえないのが普通である。したがって退職後自分の蓄えで悠悠自適の生活が出来る人は非常に少ない比率であろう。こう考えると再就職は退職後の生活を年金で手厚く保証しないならば必要なことである。
政府は退職年齢を引き上げようとしているが、この狙いは年金の支給時期を遅らせ、国の負担を民間に転嫁するものであるが、日本の年功序列による賃金体系と組織体系ではなかなか受け入れられるものではなかろう。官でも昇進先が少なくなれば、間引きをして天下りをしているではないか。
こう考えると退職し再就職と言う仕組みを社会の活性化につながるように作り、活用する仕組みを考えなければならない。
先ずは天下りを利用しての密室の談合の阻止である。これには徹底した情報の公開により防ぐ事が出きると考える。情報の公開は、特に税金で費用がまかなわれている官においては絶対条件である。あらゆる情報を公開して(もちろん国家としての最小限の機密は除外するが)世の批判にさらさねばならない。こうすることで密室の談合は相当減少するはずであり、これを期待した天下りは減少するであろう。
ちなみに最近は殆ど全ての資料はデジタル化されており、情報の公開に手間が掛かるとは思えない。ファイルする感覚でネットにアップするだけですむ。
次に、退職者の再就職は官から押しつけるのではなく、必要な人材を民から貰いに行く仕組みを作ることである。これには官の退職者の予定者リストを公開し、再就職を公募制にすることである。天下りを受け入れる方がメリットを感じれば応募するだろうし、無ければしないだけのことである。“顔”を利用しようにも情報がすべて公開されていれば、利用の余地は少なくなり、その人の“技”を評価することになる。
民間の失業者が仕事を求めて職安に日参しているのが実状で、“技”が無ければ再就職の条件はどんどん落ちるであろう。
“技”に対してペイを考えるのであるから、当然高給が出せるはずも無く、本人にとっては減収になることもあろうが、評価される“技”があることで満足すべきであろう。“技”の無い人には、“この人にはこれだけの持参金をつけます”を条件にしても良いではないか。
こうすることで、年功序列の賃金体系から、職能給に基づく賃金体系への移行が計られることになる。人材派遣が大きな伸びを示しているが、これなどはまさしく職能給に移行しているのである。(アルバイトも然り)同一職務には同一のペイを指向すべきで、春闘によるベースアップなどは不合理そのものである。
官には、若いときに理屈をこねて、新しい組織を考え出し先輩のポストを確保する人材が優秀だとする風潮があり、何か事が起きるたびに新しい組織が出来ており、そこは経済の合理性から離れた税金による別天地が出来てしまう。これらも、必要な組織は作るとして、人材は公募性にすべきである。公募性にしても採用の可否を決めるところが変わらなければ駄目と言う声もあろうが、公募と言う行為で条件を公表するわけで、条件をテーブルの上に出すだけで、抑制力にはなる。
30年ほど前にアメリカの圧延工場に行ったが、工場内に張り紙があり、従業員に職場を示して公募していた。仕事と勤務時間、ペイなどの条件が書いてあったように記憶している。例えば鉄鋼業では24時間操業をするとき、日本では四組のメンバーを持ち、朝勤、昼勤、夜勤、休日を数日置きに切り替えているが、アメリカでは夜勤で契約すれば一年中夜勤である。何で回さないの(交代制にしないの)と聞くと、昼は自分の時間として別に使い夜だけ働きたい人がいるからとのことであった。 言いたいことは、条件をオープンにして募集することにより、無用の斟酌が入りこむことを防げると言うことである。
最後に官の活動は税によって賄われているのであるから、納税者はその使い道についてもっと関心を持つ必要がある。その為には、税金を負担する人をもっと広げる事が必要である。 直接税では課税最低限を引き下げる事と、“くろうさん”と言われる不平等な捕捉率を平等にすべきである。 国民総背番号制結構ではないか。 プライバシーが侵されるとの反対が多いが、プライバシーの範囲を明確にすれば対応することは可能であり、さらけ出すと不利益になる人たちが反対しているのであろう。 脱税の無い世界を作ることのほうが、より重要と考える。金銭の動きが全て捕捉できれば消費税など1〜2%で十分なはずである。
パソコンショップでカードを作れば数%の実質割引が出来る。国民背番号のカードを出せば金銭の出入りが記録されると同時に、消費税は減額し、カード無しだと10%にすると言うのはどうだろう。いずれにせよ税の直間比率を見なおし、浅く広く税の負担をすることで官の業績に関心を持たせることが必要である。
民間の天下りについて、民間には官ほどの公明性は要求できないだろう。しかしながら、民には官のような天下りによる癒着に起因する巨大な不祥事は多くない。ただ言えることは、“技”無しに天下ることは、出るほうも受け入れるほう双方にとって不幸なことである。接待費だけはたんまり使い、一人部屋にデンと座り、机に積み上げられた新聞を読む事が仕事である天下りも無いわけではない。
日本は少子化が進みつつあり労働力の不足が顕在化するであろう。経験を有し評価される“技”を持ち、勤労意欲を持つ高齢者のパワーを活用する仕組みを組みたてるべきであろう。既に、人材派遣会社や一部の会社でこの仕組みが作られ機能しているようである。私もこの方向への展開に興味を持っている。