馬鞍山製鉄所建設当時の写真

ホームページを見た方から大略次のようなメールを頂いた。

貴兄の上海時代のご様子を拝読いたしました。実はその中のご父君の馬鞍山製鉄所についての記事に興味を惹かれて、大変ぶしつけながら、メールを差し上げた次第です。
実は私の父は日本製鉄(株)に勤務していた土木技師で、昭和17年頃、馬鞍山製鉄所の建設のために単身赴任し、昭和19年3月(当時国民学校生)に、母と弟の3人で、馬鞍山に渡りました。しかし、戦局が悪化したために、昭和20年4月に帰国しました。敗戦直前で、体だけは無事帰れましたが、懐かしい馬鞍山の記録や思い出の写真などは1枚もありません。当時の馬鞍山の様子が偲ばれる情報などをお教えいただければまことに有難く存じますが、いかがでしょうか。

私は父の上海上海恒産派遣に伴って上海に在住していたが、父が日鉄の馬鞍山製鉄所建設に誘われ馬鞍山に赴任するとき日本に帰国した。その後2年ほどで父が十二指腸潰瘍を患い帰国したので、当時の写真などを持ち帰ることが出来た。

その父も歿して50年を超えたし、母も10年を超した。母の遺品に当時のアルバムがあり、それを保管はしているものの、ぼろぼろになり写真も小さなサイズで、褪色やカビ汚れで悲惨な状態になっている。

上海時代、近所に住んでいたと言われる方からメールを頂き、写真を何枚かアップしたことがあったが、劣化を防ぐためもあり、今回はアルバムから殆ど全ての写真をここに掲載することにした。

上海時代の写真には書き込みがあるのだが、馬鞍山の写真には書き込みがないので単なる写真の羅列である。私は馬鞍山のことはさっぱり分からないので、アルバムのページからこのあたりだろうと見当を付けてスキャンした。

今回メールを頂いた方の父君とは同じ職場だと思うので、集合写真に写っていればものすごい偶然となるのだが・・・。

その後次のようなメールが来た。「集合写真の中に、当時30歳代だった父の顔を見ることが出来ました。かけがえのない貴重な写真です。

世の中って狭いものだなと感じ入った次第。徹夜の苦労も吹っ飛んだ!!