初めての海外出張

 出荷した製品の品質にクレームが付き、その処理という芳しくない仕事ではあったが、初めて海外に出かけた時の記録である。 アルバムにしてはいたが、保管状態が悪かったのか写真の表面同士がくっついてしまい、焼却処分の止むなしになった。
 かろうじて使える写真をスキャナーに取り、ここに記録保管する事にした。

出張予定

1967年6月末から7月に掛けての1週間で、次のような予定であった。

Date Week

Lv.

Ar.

Carrier Place of Visit Hotel
June
24
Sat. Tokyo New York JL002   Abbey Victoria
25 Sun.       N.Y.Office Pan American Moter Inn
26 Mon New York Pittsburgh UA081 Keystone Pipe & Supply Co. Holiday Inn
27 Tue. Pittsburgh New York TW92 Keystone Pipe & Supply Co.
Columbia Summerrill
Abbey Victoria
28 Wed. New York Mulvern Car J.Bishop Co. Shereton Tenney
29 Thu. New York
Cedarrapids
Cedarrapids
Milwaukee
UA103
OZ742
Cherry Burrel Co. Red Carpet Inn
30 Fri. Milwaukee Los Angels AA183 Ladish Co.
Alloy Products
Statler Hilton
July
1
Sat. Los Angels   JL051 Los Angels Office Air Plane
2 Sun.   Tokyo      

出発

始めての海外出張には、仕度金が出る仕組みになっており、またいろんな人から選別が貰えた時代であった。

miokuri_s.jpg (19253 バイト) 羽田空港についてみると、本社から関係部門の課長や掛長が見送りに来てもらっており、
東京在住の母、弟と義妹及びその御両親で見送りに来てくれた。

両端は弟の義理の御両親、私の右は母であるが、もう誰もこの世にはいない。

僅か30年ほどであるのに。

dept_s.jpg (22671 バイト) 当時は、出国検査が済んでもこのような面会所があり、出発時間まで見送りの人と最後の会話が出来た。

 

jal_s.jpg (15411 バイト) JAL DC-8 ハワイ、サンフランシスコで給油してのニューヨーク行きであった。

当時の会社の身分は掛長であり、当然の事ながらエコノミー、機体の後部から乗りました。

日付変更線

dateline_s.jpg (29689 バイト) ハワイに着く前に日付変更線を通過するが、希望者には日航の社長名で通過記念証が貰えた。 

Mr. Motoya Fujii has crossed the International Date Line at the exact hour of 14:03 on the 24th day of June in the year 1967 aboard Japan Air Line's DC-8 Jet Courier TOWADA while en route from Tokyo to Honolulu.

為替レート

exchange_s.jpg (28396 バイト)

当時は360円の時代であったが、日本を離れるとそのレートもだんだんと悪くなっていた。

ハワイでは370円台、サンフランシスコでは380円台、地球の反対側のニューヨークでは、ここにあるように、5万円が手数料1$引かれて、126.5$にしかならなかった。

為替レートが392円/$(手数料込みで395円、ほぼ400円)の時代であり、駐在員も相当苦労していた。

出張手当は1日当たり10数ドルであったが、日本から持出せる上限額(確か500$)いっぱいを支給され、“君の使える分はこれこれの金額で、残りはNYの事務所においてくること”とヤクならぬカネの運び屋をしたものであった。

New York

circle_s.jpg (15835 バイト) ニューヨークには、同期入社の中園君が赴任しており、彼の家族とマンハッタン島を船で一周した。

入社直後に結婚式を挙げ、既に子供がいたが、船上で走りまわりながら、英語で喧嘩しているのを見てびっくりするやら、感心するやら。

newyork_s2.jpg (24767 バイト)  

street_s.jpg (21210 バイト)

New York と言えば、摩天楼と5番街。 なにはさておきNew Yorkに来た evidence の為に写真だけは撮りました。

未だ治安の良い頃で、駐在員も近くに住み、深夜にエンパイアーステートまで昇っても、問題ありませんでした。

ホテル

偶々、全てのホテルの領収書が残っていたので記載します。

Date

Hotel

City

Room tax Total
June24−67 Abbey Victoria New York 10.00 0.50 10.50
June25−67 Pan American New York 12.00 0.60 12.60
June26−67 Holiday Inn Butler Pennsyylvania 9.50 0.48 9.98
June27−67 Abbey Victoria New York 10.00 0.50 10.50
June28−67 Sheraton Tenney Inn New York 13.00 0.65 13.65
June29−67 Red Carpet Inn Milwaukee 14.00 0.42 14.42
June30−67 Statler Hilton Los Angels 14.50 0.58 15.08

最近アメリカに行っていないのではっきりしませんが、10分の1くらいでしょうか。

holibutler_s.jpg (18664 バイト) Holiday Inn Butler このモーテルのすぐ前にARMCO Butler工場があり、幹部はこのモーテルで食事をしていました。
redcarpet_s.jpg (19396 バイト) Red Carpet Inn Milwaukee は日本を始めて爆撃したドーリトルの生地で飛行場にはその爆撃機が飾ってありました。

無事帰国

arrive1_s.jpg (25076 バイト)

こうして、始めての海外旅行は無事終わった。

私にとって、僅か1週間の滞在ではあったが、この経験はその後の業務遂行に際して大いに役立った。  具体的に何がと聞かれれば、次のような事だろうか。

1.アメリカと言う国の広大さ。 何事もこの広大さを理解しないと誤解する事が多い。 文化・習慣のベースである。

2.外国語アレルギーのいくらかの解消。 4〜5歳の子供でも英語で喧嘩が出来るのを見て、英語を必要とする時には、頭で考えるのは止める事にした。 下手な発音では恥ずかしいと思うことがあったが、独りになった時、とにかく喋らねば通じない。 喋れば通じる事を実感した。

3.為替レート。 円の値打ちの無さの実感と、為替レートが輸出を支えている競争力の源で、決してわれわれの品質に競争力があるのではないこと。