阪神大震災

1995年1月17日5時47分 突如震度7を越す大地震に見まわれた。 当時東灘区御影町に住んでいた、グラグラっと来たときに気が付いたが納まるのかと思った瞬間、ドンっと来たと同時に家具が倒れた。 マンションは倒れなかったものの、室内は箪笥を始め殆どの家具が倒れ、食器ガラス成品は破片となった。

7時までは電話が使えたので、母親と離れて住んでる2人の子供には無事であることを知らせたが、7時を過ぎると電話は沈黙してしまった。 水もガスも電気も無い状態となった。

4人の家族はともかく無事であったことは不幸中の幸いで、地震の被害は例を見ないほど甚大なものになりました。

死者:6430人 倒壊家屋:44万世帯 避難所入所者(当初):31万人
     
写真は東灘区、芦屋を中心に撮った物です。銀塩写真をPhoto−Cdに保存したものから取り込みました。 当初WEB容量を気にして小さいサイズにしていましたが、サーバーを変更したのでサイズを大きくしました。(2009/2/16)1枚200KBほどになっています。