彼は国文学を大学で専攻し、日本の商社に勤務し日本語を話す事が出来るようになり、当初私が訪台した頃通訳として会ったのが最初の出会いであった。 通訳をしながら、ステンレスの将来性に着目し、手持ちの金をはたいてステンレスの二次加工に資本参加し、それが当たってBIGになった。 今では、二次加工からは撤退し、自ら商社の主となり、日本からの機械の輸入と、ステンレス線材の輸入を扱ってるとのこと。 彼の言によると、兄弟も多く苦学して大学を出て、ステンレスにめぐり合えてやっと成功したと言っている。 素晴らしい事。 |