軸受鋼管の製造


新日鐵光製鉄所の熱間押出工場は昭和35年に操業を開始した。フランスのセジュルネ氏が開発した熱間押出法による鋼の加工法はきわめてユニークな方法で、特に特殊鋼の加工に適していた。 当時の日本は厳しい外貨規制をしており、新技術の導入にはそれ相当の理由付けが必要であった。
すでに国内各社はそれぞれ、ボイラーチューブ、ステンレスパイプ、軸受鋼管の製造を理由に認可を受けており、同じ分野での申請は出来ないとして、当社は形鋼の生産を理由に設置した。
しかしながら熱間押出形鋼は、需要創出型の商品であり、需要開拓が遅々として進まず、操業度を上げるために量的拡大が見込まれ、かつ販売も互恵が見込める軸受鋼管の製造が企画された。

軸受鋼管の製造技術開発

私は昭和37年に線材から、熱間押出工場の技術掛に配属され、軸受鋼管の製造技術の開発を命じられた。 それ以来熱間押出との長い関わりが出来た。 昭和55年に当工場は操業開始20年の成人式を迎え、記念誌の発行が行われた。 その中に述べられている各氏のコメントを挟みながら、熱間押出に対する私の思い入れを開陳したい。
記念誌に寄せられたコメントの中から軸受鋼管に関するものを……。
小平初代工場長:軸受鋼は地疵についてうるさく、押出比を適当に取ることにより少なくすることが可能であることが分かりました。 また、球状カーバイトのサイズが日本のものは0.7〜0.9ミクロンに対して外国のものは1.2ミクロンのものがあり今もってなぜそうなるのか分かりません。
仕幸三郎氏(研究):世界最初の連続鋳造丸ブルームから直接押出し後、連続炉による球状化焼鈍という画期的製造プロセスを武器に、血の滲むような実験の毎日が……
堀部伝兵衛第5代工場長:当時は、軸受鋼管の生産をしていて、これの偏肉が良くなく常に偏肉調整時間に泣かされました。今のコンテナーハウジングの足部は偏肉改善に実施したもので……
薮崎宣之氏(元熱処理担当):連続焼鈍の思い出となると、やはりミクロ不良との戦いでした。毎日炉内雰囲気に気を配りバーナーチェック、熱電対の挿入等全神経をすり減らし分析結果に一喜一憂したものです。

技術開発のトピックス

軸受鋼は量産特殊鋼として最も材質的に奥の深い鋼種である。 用途としても重要な部分に使われるので、長年の経験から念入りな工程で丹念に製造されており、長年の経験からいたる所に使い慣れと称する神話も存在していた。 需要家である軸受製造メーカーからレクチャーを受け、要望されたユーザーサイドからの品質を、我々製造側の言語に翻訳しながら、研究陣の懸命な解析を足場に、世界に例を見ない連続鋳造による量産技術の開発を行った。 その間に遭遇した問題点を記憶に頼り整理してみたい。
巨大カーバイト: 軸受鋼は過共析Cr鋼で凝固過程で巨大なカーバードを析出する。この存在は製品である軸受の早期破損の原因となるので、絶対にあってはならないものである。 従来プロセスは鋼塊法であり凝固過程でゆっくり冷える為にカーバイドが巨大に成長し、それを拡散する為に分塊時の加熱を長時間行っていた。 我々は連続鋳造を適用するので、凝固速度が速いから、巨大なカーバイドは生成しないと思もっていた。 ところがこの考えは見事に裏切られ見事なカーバードが生成していた。
巨大カーバイドを消滅させる最低条件を見出すこと、管理することに信じられないほどのマンパワーを投入した。 何しろ鋼の中にミクロンオーダーのカーバイドが1個あっても事故になる可能性があり、検査で見つけられるものではなく、まさしく品質を工程で作り込む必要があった。 この1200℃ 12時間の熱処理とそれに続く軟質化焼鈍にかかるコストが、10年後に軸受鋼管製造の息の根を止めることになった。
クロムカーバイドの粒度分布: 出荷される軸受鋼のクロムカーバイドの粒度の平均値として1ミクロンの大きさで存在することを要求された。 軸受の製造工程で焼入焼戻が行われ、マトリックス中に微細なカーバイドが分布している必要があり、小さいと焼入時に溶けてしまい、微細なカーバイトが無くなるというものである。 従来技術はバッチ炉で焼鈍しており長時間を要していたので、必然的に大きいカーバイドになっていた。
光は新しい考え方により連続焼鈍炉を設置し、球状化焼鈍に対する技術が基本的に違っていたので、1ミクロンを下回る大きさしか出来なかった。 このため前述の小平、薮崎さんのコメントにあるように粒度を大きくするのに四苦八苦した。 我々の知見では粒度は小さくとも、焼入れですべて溶け込むことはなく、微細なカーバイドが均一に分布するから良いではないかと言うことであったが、ユーザーサイドは納得しなかった。 無い袖は振れぬと出荷しているうちに、うやむやになったが、私はこれは神話であったものと信じている。
連続鋳片の直接押出し: 従来技術は鋼塊法であり、連続鋳片は使われていなかった。 一つには鋼材は凝固状態からある程度の熱間加工比がないと材質が出ないという昔からの考えがあった。  これは我々が狙っていた、鋼片からの直接押出しにとって大きな障害になった。  次に連続鋳造そのものに対する不安感である。 今でこそ連続鋳造のほうが品質安定性が良いことが普及しているが、当時は製造工程を大幅に省略する新プロセスでは手間暇掛けて念入りに作る旧来の鋼塊法に比べて手を抜いているので、良いものは出来ないという思想が根底にあった。
需要家には実績の積み上げで納得いただく様説明しながら、一方では安定した生産体制の構築に苦労した。 なにしろ割れやすい鋼種であり、最適な水の掛け方、ピンチ圧力、速度等々の最適条件を見つけながら、四角を成功させ、8角に挑戦し、ついには丸の鋳造技術を完成した。 この間多量に吐き出される量産試験材を使用しながら、連続鋳造鋼材の特性を把握していった。
地疵対策: 地疵とは鋼材の表面を旋盤で削り表面に見える疵である。 非金属介在物が長さ方向に並んでいるのもが、たまたまその部分を削れば出てくるもので、本質的には非金属介在物を減少させなければならない。 この検査は官能検査であり、当時光では経験していないものであった。 検査法を確立するまで試験室に日参し、指導したものである。 非金属介在物は鋼の凝固時には球状になっており、熱間加工で分断しつつ伸びて行くもので、顕微鏡観察では連続性が見え難いが、目視では見えるという物。 前述の加工比を大きくするほど長く伸びていき、ある値以上の加工比になれば分断されて、目視でも見えなくなることを確認し、対地疵対策としての加工比の最適範囲を見出した。
真空処理: 地疵の起因は非金属介在物である事、軸受の寿命は転動面直下の内面にある介在物(特に酸化物系)である事から、鋼中介在物の減少対策が急がれた。 酸化物系の介在物減少には鋼中酸素の減少が有効であろうと真空処理をすることになった。 この効果は覿面で介在物と地疵が飛躍的に減少した。 当社で開発した軸受の寿命試験でも抜群の成績を得て、需要家に開示した。  これにより当時の軸受業界の最大関心事であった新幹線用の軸受が実用化できる目処が立った。 この技術は先行会社には無かったもので、ようやく製造メーカーとして扱われるようになった画期的技術であった。
そのほか、金属屋として始めて実地で白点を見たり、オーバーヒートで鋼材がバラバラになるのを経験したり、連続焼鈍の条件整理にプログラムを作ったり、あるいは部下の林工長が速度を上げよとの私の指示で矯正機で脇下をずたずたに引き裂いたり(幸いにも回復したが)、自ら操作を体験していて指先を偏平にしたり、材料屋としても、管理者としても充実した時期であった。
10年間の生産継続のあと、軸受鋼管の生産は採算問題から中止することになった。 残念ではあったが、軸受鋼と言う“はがね”の中では最高級の品質を世界に例を見ない工程での実用化に参画したことは、私にとって大きな財産になった。
前述の記念誌から私の投稿文の一部を:
昭和48年7月に、工場長を拝命した際の最大の課題は、熱押の操業度を支えていた、軸受鋼管の生産を中止することであった。 開発段階から取り組んだ品種でもあり、あたかも我が子の臨終に立ち会う気持ちであった。 採算性で評価する時、単に軸受の問題としてではなく工場全体の問題でもあり……。