熱押工場40周年記念式典

新日鉄光製鉄所熱間押出工場40周年の式典への案内があった。この工場は私にとって特別の想いのある工場であり、出席することにした。
と言うのも、50周年記念には、平均寿命を越すことになり、とても出れるとは思えないこともあり、こちらにちょっと不義理もあったが・・・・・・・・。
数日前に、OBを代表して挨拶をして欲しいと依頼があり、引き受けたものの、何しろ人前で話すことは2年ぶりのことでもあり、また話したいことは山々あり、短くすることに悩みながら当日になってしまった。

この工場には、平社員から、係長、課長、工場長、部長と関与し、私の青春そのものであり、新規市場開発や新技術開発など実地経験が、私の鉄鋼技術者としての基盤になった工場である。

操業当初から関与したので、顔を知らないOBは一人もいない。開式前に会場で懐かしい顔に出会い旧交を温めた。

鏡割り、この直後ズボンからワイシャツまで酒をかぶり、匂いだけで酔っ払うことになった。

この工場の特長は、この写真のような異形型鋼を製造している所にある。 これは製造工程のいたるところにスキルを必要とし、他社の追従を許さぬ所である。
規格品でないものなので、造れば売れるのではなく、自ら需要を開拓しなければならないが、これは鉄鋼業にあっては異端分子であった。最近でこそユーザーニーズに合わせた品質の造り込みをしているが、それも大口需要家に対してだけで、これら型鋼のように、数トンでも作りますというのは、最初はなかなか理解してもらえなかった。
永年の努力の積み重ねで、いまや光製鉄所の中核を担っていると聞いて、集まったOB連中と祝杯をあげてきた。
私の挨拶(前夜ノートに記入したもの)
ごあんぜんに
熱押工場40周年おめでとう
40年と言えば人生に例えると、社会人として一番充実した日々を送る年齢であります。熱押工場も承りますとすばらしい成果を上げつつ、存在感を周囲にアピールしているとの事、ご同慶のいたりでございます。
私は光の生活が26年ほどで、そのうち22年は熱押しに関係しておりましたので、「熱押」には特別な感慨をもっています。
私と熱押の係りは、人生に例えると「ハイハイ」が出来るようになった「赤ちゃん」の時代に始まり、いろいろ勉強してその仕上げをすべく、大学に入学した頃まででした。
と言いますのも、会社の「脛」をかじりつづけていたからです。これが又でかい、太い「脛」でしたので、今から考えると信じられないほど自由に遣わしてもらいました。これが鉄鋼技術者としての私のベースになったと思っていますが、その「場」を与えてくれたのが熱押でした。
また、「熱押」はCEFILACからの技術導入のいきさつから、形鋼の市場開発に力を入れました。これは、規格品の無い市場開拓型の商品で、既存の販売・製造のルートから離れたところでの活動を必要としました。大会社の新日鉄の中にあって、束縛を感じずに自由に働くことが出来たのも懐かしい思い出です。
先ほど40年はバリバリ仕事をする働き盛りと言いましたが、設備のハードと言う意味では、40年前の設備は一般的には数世代前の老朽設備でもあります。そのような老朽設備が今日只今第一線で成果を挙げているということは、操業をはじめとしたソフト面での改善が支えているからだと思います。ソフトは言いかえれば人材です。ここにお集まりの皆さんの積み重ねた努力の成果が今日の熱押を作り上げているわけです。
今後とも精進をいただき、更なる将来に向けて歩んで欲しいと思います。

今後の熱押の発展を願いながら私の挨拶を終わります。