歯の治療

「80歳20本運動」、歯をしっかり守り、80歳で20本の自前の歯を持とうと言うスローガンである。日本の男性の平均寿命は75歳だから、80歳を迎えることが出来ればバンバンザイではある。自分の余命が幾らあるのか、これが分かれば人生変わるかもしれない。ジョークではあるが、ここで調べると普通の神経で後7年と出た。(悲観主義やサディストだととっくに死んでいるらしい)
冗談はさておき、熱や頭痛は放置しておいても直るが、歯だけは放置しておく訳にはいかない。ネットで知り合った歯医者から、歯は15分間磨けと言われ、横になってテレビを見ながら磨いていた。
2002年4月の初めに、珍しくメガネ(老眼鏡)をかけて、洗面台で磨いていて、前歯に黒い点を見つけた、よくよく見るとさらに1箇所歯の付け根に凹みを見つけた。この程度なら麻酔もなしに簡単に詰めて貰えるものと近所のホームドクター(歯医者)に赴いた。

この写真は、東京に来て写した物であるが、は8年程前に抜き、ブリッジになっている。7の周りに深いポケットがあるので、しっかり磨くように注意されていた。一番磨きやすい場所 なのにと不思議がられ「左利きですか」と聞かれてしまった。なおこうしてみると、治療は上に集中しており、他人の写真をこっそり見ると、下に集中している人もあり、個人差があるようだ。

1&2 

1の虫歯は黒い点になっており、2にある虫歯は凹みである。治療の前に歯茎の検査でプラークポケットがあるとの事で掃除から始まった。6回の掃除の途中で好物のラスク(非常に硬いもの)を食べていたら奥から2本目の歯()が欠けてしまった。

欠けた歯を見ると、金冠が被せてありその被せものの裾の断面90%以上が褐色に変色していた。今良く写真を見ると、確かに 金冠の裾が侵食しているように見える。左のブリッジの負荷を軽くしようと、右で硬いものを噛んでいて、強度不足で折損したらしい。
この歯は歯根は残っているので、その上に写真のような歯を差し込むことになった。この場合歯の本数はどうなるのと尋ねたら、歯根があるので、本数に数えますと言うことだった。

治療中に4の横腹に虫歯がありますとの事。ちょっと大きいので、削り取って横から詰めると言うのは難しいので、上から削り取って金属を嵌めましょうと言うことになった。
金属は熱伝導が良いので、熱い物や冷たい物を食べるとき、しばらくはしみるでしょうがそのうち慣れますとの事。確かにアイスクリームは歯が凍みる。

次に「ブリッジ部分がぐらぐらしてるんですが」と言ったら、の根元がもう侵食されていて離れていますね。5のところを切り離しましょう。はもうくっついていませんよ。
と言うことで、切り離した。確かに切り離すとはすんなりと外れてしまった。ところがブリッジを切り離して単独になったが話をしていても動いて外れそうになるくらいがたがたで、どうしようもない。写真にもあるように、の根元は歯周病で歯 骨がほぼなくなっているとの事。

 

結局を抜くことになった。抜いた後の歯根部の掻爬などを念入りにしたほうが良いので、口腔外科専門医師に抜いてもらいましょうという事になった。
麻酔後歯は簡単に取れた。抜いた後ゴリゴリ削って一針縫合して終わった。

6

の根は残っているので、これに根面板を取り付けようということになり、写真のようなものを付けられた。
一昔前だったら抜いてしまうらしいが、部分の歯骨が将来成長して、インプラントに耐えられるようになれば、その時抜きましょう。それまでは義歯をつける時の足場に使いますとの事。歯骨が出来るかどうかは半年ほど様子を見なければ分からないらしい。
もう3ヶ月歯を治療してやっとここまで来た。(引き金になった自分で見つけた虫歯は未だ何もしてないが)
今後の予定は、5・6・7にインプラントを入れるのがいいが、7の歯骨が問題で、いまは歯周病でやられているが、もしかしたら骨が再生するかもしれない。6ヶ月ほど待ってインプラント可能かどうかを判定したいとのこと。「お年はおいくつですか」と高価なインプラントを入れるだけの値打ちがあるかどうかを尋ねられてしまった。
それまでは義歯を入れましょう。ただし義歯は片持ちになるので10をくっつけたいと言うことで、まだまだ歯医者通いは続くようだ。
  義歯を体験してくださいと言うことで、義歯が入った。片持ちでは保持できないので、上顎をとおして反対側の歯にも引っ掛ける方式。
使ってみたが咀嚼する時、舌がこの上顎の板に当たり何とも異様な感じがする。また頬をすぼめて口中圧力を減ずると、この板が浮き上がる感じになる。今のところ片側だけでも支障なく使えているので、ケースに入れたままになっている。
ようやく8月上旬に今回の出発点であった1と3の虫歯に詰め物をして一応完了した。あとは歯骨がしっかりと成長するかどうかで、インプラントができるかどうか。9ヶ月待ちましょうとの宣告だった。