(2004年)


初雪(2004/12/29)
朝から昼過ぎまで雪。夕方から雨に変わり18時ごろには雪はほとんど消えてしまった。
たまたま出かける予定があり、スノトレを履いてヤッケを着て出かけた。

無謀にもノーマルタイヤで蓼科へ(2004/12/6)
蓼科のペンション歩絵夢に使いやすいパソコンを準備し、低気圧が通り過ぎた5日午後から出かけることにした。予め天気予報を調べ、諏訪の最低気温が6℃とあったので、ノーマルタイヤで走った。低気圧が通り過ぎれば西高東低になるのは分かっていたのに・・・。6日朝方積雪があり、夕方には駐車場の雪は無くなったが、途中の路はアイスバーンでツルツル状態。 サンデー毎日の身なので、一泊増やし7日にチェインを付けて アイスバーンを踏破し帰宅した。この時期の山行きはスタッドレスが常識なのに馬鹿なことをしたもの。

東京工大OB会KKML忘年会(2004/12/1)
工大OBを中心としたメーリングリストの忘年会が新橋「登茂恵」で開催された。先輩方の比率が高く、私より後輩は2名しかいない。 話題も徹底した技術論が多く生半可な知見では付いて行けない。 それやこれやで酔いの回りが速かった。 

蓼科近郊の野天風呂(2004/11/25)
蓼科のペンションピラタスがホームページを自前で設置したいとの希望を受け、ベースとなるページの作成を終わり先方のマシンに移植に出かけた。南諏訪で昼食後露天風呂を聞いたら甲斐大泉に富士山の見える露天風呂があるとのことで引き返して入浴(左)、次の日に大門街道沿いの音無の湯の2カ所を新規開拓した。

東京西六会(2004/11/11)
姫路西高六回生の同期会を有楽町「さがみ」で開催。 参加15名、主たる話題は健康関係、最後は恒例の応援歌。 二次会と称してカラオケに、歌った歌は「誰か故郷を思わざる」「旅の夜風」「十三夜」「異国の丘」「乱れ髪」「長崎の鐘」「錆びたナイフ」etc. どこから見ても年寄りになったな〜という感想でした。

クラッシックカーで蓼科往復(2004/9/12)
蓼科の疲れで寝ていたら、昼前に弟からドライブに行かないかと電話で起こされた。さればと起きだして昼過ぎに1953年製のMG(1250cc)で出発した。中央高速 をオープンで快調に走っていたが、甲府を過ぎたあたりから登りに掛かり、エンジンがぱらつきだした。水温計は90℃を越している。力が出ないので登坂車線をトロトロと走り。ついには韮崎で降りてガソリンスタンドに。冷却水はあったものの沸騰状態。水を入れ替えて再度高速に。小淵沢付近を またまたトロトロ登り、蓼科では途中エンジン冷却も兼ねて露天温泉に入り、何とかピラタスまでたどり着いた。帰りは下りと気温が下がっていたのでエンジン快調。帰宅は深夜の24時になった。その時間にオープンカーで走るなんて正気では出来ません。

蓼科のペンションのWEB補強と野天風呂(2004/9/8〜10)
下に述べている蓼科高原のペンション歩絵夢のWEB為に出かけることに なり、併せて野天風呂 の新規開拓を楽しむ 事にした。 WEBの方は、以前からあるワープロで作られた季節の便りを、(データファイルがないので)スキャナーとOCRで、テキストファイルを作り、WEBにアップすることであるが、識字率が悪く操作の伝達のみで時間切れとなった。
野天風呂は、往復160Km走って、春日温泉(左)に行ったが、走っただけの甲斐はあった。その他渋川温泉(右)、蓼科温泉、河原温泉を体験した。

蓼科のペンションのWEB開設、スパイウエア無害化と野天風呂(2004/6/24〜26)
毎年スキーに利用している蓼科高原のペンション歩絵夢のWEB更新を手伝うことにし、その開設と運用の説明に出かけた。友人を誘って野天風呂を楽しむ予定であったが、友人の持参したノートパソコンがスパイウエアに感染しており(ペンションのマシンも)、その駆除に試行錯誤しながら成功したが、おかげで野天風呂は新規開拓2カ所のみで時間切れとなった。帰宅してみたら東京の暑いこと、一挙に疲れが出て来た。 左はカッパの湯、公営で入湯料もリーズナブル、体の芯まで暖まる。右は横谷温泉、野天風呂は37°の薬湯。長時間をのんびり過ごすことが出来る。

東京工大先輩による数式絵3人展(2004/6/ 4)
大岡山の百年記念館で、S30卒先輩3人による数式絵展が開催されており、表敬訪問した。 数式絵(MathArt)とはBASICの line や circle 命令に位置やカラーを加えてパソコンに絵を描かせるものである。 論理的には分かるものの試行錯誤の積み重ねが必要だろうし、美的感覚が欠かせない。 技術屋の端くれとして試行錯誤は覚悟の上だが、残念ながら美的感覚は持ち合わせていないので、トライすることは遠慮している。 この写真の絵が、BASICの数10行の命令で描けるとはちょっとした驚きである。

高校卒業50周年の同窓会 (2004/5/22)
昭和29年(1954)卒業の姫路西高6回生同窓会が姫路で開催された。
われわれ同期は50名X10クラスだったので、500名と覚えていたが、正確には入学時507名、卒業492名とのことである。半世紀の間に63名+が物故されており、(+は連絡不能者を意味している)当日参集者は151名であった。 詳細版は こちらにあります

ザ 祭り屋台 in 姫路 (2004/5/22)
高校卒業50年同窓会の当日、「灘のけんか祭り」の屋台による姫路城を背景にした練り合わせが開催され、例年10月に白浜の松原八幡神社で行われる通称喧嘩祭りを見ることが出来た。近くで見ると豪華なものである。

桜!桜!桜! 大岡山と新宿御苑 (2004/3/27)
開花宣言は早かったが、その後低温続きに加えて天候不順で桜も足踏みをしていた。今朝は雲一つ無い快晴、気温も高そうなので大岡山に母校の桜を求めて出かけた。 まだ3〜4分咲で今ひとつであったが、昔なじみのそば屋でひょっこりと同期5名に出くわした。 年が同じなら考えることも同じか。 皆さんは横浜に行くとのことであったが、私は新宿御苑の桜を見てきた。 御苑は種類も多いので結構見事であったが、人・人・人、加えて殆どの人がデジカメかカメラ付き携帯で、銀塩カメラは僅かな数のマニアだけだった。 

八幡製鉄33年入社同期会が代々木で開催された (2004/3/3)
同期入社は100名。関東地区懇親会在籍58名。内43名が集合した。物故者もさることながら、健康理由での欠席者も数名出てきた。2008年には入社50年を迎えるが、何とかそれにも出席したいもの。殆どの人がサンデー毎日なので、出席率も良いのだろう。会場の雰囲気はこちらで見てもらいたい。左の写真は光製鉄所に在籍経験者である。

東京工大33年金属同窓会を越前敦賀で開催(2004/2/29)
今年は関西在住者が幹事で、敦賀での開催となった。何故敦賀なのかと言う突っ込みはさておいて、敦賀トンネル掘削時に湧出した温泉と、越前蟹があれば文句なしと言うこと。
高額特許の問題、諸外国情報の交換、経験した疾病情報などなど・・・・・。でもみんな年をとって、酒量も減り、禁煙者も増えて健康的な同窓会でした。
全員参加と言っても、たったの9人です。

光製鉄所が無くなった(2004/2/17)
新日鉄と住金のステンレス部門が合併すると言う記事は見ていた。今回近所まで行ったので、製鉄所の正門を見に行ったが、このように光製鉄所の名前は無くなっていた。
新開のアパート群も無くなり、幹部社宅のあった長尾台も、室積にあった三役の社宅も新興団地に変貌していた。
私が建てた住居だけはそのまま残っていたが、10年一昔とはよく言ったものだ。

蔵前工業会ネット委員会出席(2004/2/2 如水会館)
蔵前工業会(東京工大同窓会)のネット委員を仰せつかっており、委員会が開催された。インターネットを経由した情報の伝達の利便性を、如何に多くの会員に支持して貰うのかが課題であるが、ロートルが現役の若者をリードするには限界があるのかもしれない。
それにしても、卒業生でありながら会費未納者が多いとの報告には驚いた。私も払いたくて払っているのでは無いが、東京工大と言うブランドを付けている事に対するTaxと思って払ってきたのだが・・・・・。

蓼科にスキーに行きました(2004/1/29〜2/1)
今年の初滑りと言えば聞こえは良いが、体力がなくなっておりおまけに普通の人の時間では生活していないので、ちょっと大変だった。初日は昼頃出発し、途中パソコンの面倒を見ている所に立寄り、暗くなってペンションポエムに到着。 午前様までポエムのWEBの相談やら、ホームページの作り方を解説し、30日はペンションのご夫妻とピラタスを2本だけ滑って体力の限界点到達。 夜大阪から仲間が到着し、31日は白樺高原国際ゲレンデに。 死にそうになりながら、ゴンドラを6回使い、やっと シニア1日券の元を取りました。1日はもしスキーをしたら運転出来なくなろうと仲間と分かれて帰ってきました。

田中良平先生瑞宝中綬章記念祝賀会(2004/1/24於八芳園)
田中先生が表記綬章され、東京工大鉄鋼材料学講座主催の祝賀会が行われた。高張力鋼、耐熱鋼、ステンレス等の研究成果に対しての褒章で約200人が参会した。
先生には卒論では助教授として岡本教授の指導をサポートしていただき、卒業後も私の担当品種が特殊鋼、ステンレスであったので、引き続きご指導いただいた。 左の写真は、田中先生ご夫妻の前で授賞の披露をする松尾教授、右の写真は岡本研同期3名と田中先生である。

 

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