(2006年)


近隣散策その9 鶴見川の追加 (2006/12/27)
21日に鶴見川の町田市内は踏破したと思っていたが、その後地図をよく見るともう一度町田市内を流れていることが分かった。ともかく鶴川駅付近で町田市と川崎市が入り乱れていり、左岸では7回境界を越えている。また暫く雨がなかったが、25日夜半から27日早朝まで台風並み低気圧の影響で激しい雨だった。例年の一ヶ月の総雨量の3〜4倍の雨が1日で降ったのでさぞや川の流量も増えているのだろうと言う楽しみもあって13Km 強の歩きをした。結論的には、雨で水は濁り、水量はやや増えているという程度だった。この写真はこれと同じ位置からである。   鶴見川の訂正 最終版はここに。

近隣散策その8 町田市を流れる恩田川 (2006/12/23・25)
車で町田に走れば恩田川を通る。この川が鶴見川の支流の一つと知ったので、源流から神奈川県との境まで歩いた。ここしばらく雨らしい雨は降っていないので水流は少ないが、少なくとも町田市を通る間は地下からの湧き水などの水で生活排水は出ていない。従って水はきれいである。河川管理も縦割り行政を反映し県境の前後で全く違う姿を見せている。 町田市を流れる恩田川 をここに纏めた。 11月に続いて12月も120Kmの歩きを達成した。

田端環状積石遺構からの日没 (2006/12/23)
田端環状積石遺構は冬至の日に太陽が丹沢山系最高峰の蛭が岳に落ちるところに位置しているという事を知り、その確認をしたいと思っていた。今年は22日が冬至であるが、21・2日は天候不順らしいので20日に訪れたが、遺跡にたどり着く前に日没を迎えてしまった。今日は西高東低の快晴なので余裕を持って到着し無事その瞬間を撮ることが出来た。同好の士曰く「ここ数年で一番の天気だ」とのこと。  詳細はここに

近隣散策その7 鶴見川上流 (2006/12/20・21)
鶴見川の源流から日影橋までは一昨日歩いたので、今日は図師大橋から鶴川の下川戸橋までの鶴川に沿って散策した。図師大橋から約1Km下流の丸山橋から遊歩道が整備されており、橋ごとに右岸左岸を入れ替えながら歩いた。途中1GBのメモリがFullになったり、バッテリが空になったりしたが、いずれもスペアで大事には至らなかった。このあたりは丘陵が入り組んでおり、写真のように蛇行しているところが数カ所あった。 途中見慣れた道に出たので帰宅し、地図をよく調べたら、町田市の鶴見川は残り3橋なので翌21日に終わらせ町田市内の鶴見川風景として纏めた。

近隣散策その6 鶴見川源流 (2006/12/18)
一級水系鶴見川は全長42.5Kmで、町田市に発して横浜市で終わる水害と汚染で有名 な川である。源流は町田市 上小山田 田中谷戸にあり、 公園風に整備された鶴見川源流の泉がある。ここに伏流水が湧きだしている。(写真左上)ここから約1Km下った新橋から鶴見川は始まっている。(真の源流地はこの源流の泉より4〜500m奥にあるようだ) 
川に沿って下りながら、この地を治めていた小山田氏の居城跡と言われる大泉禅寺(右写真)に立ち寄り、天気次第で富士山が見えるという小山田緑地の展望台 に上った。残念ながら丹沢山塊 しか見えなかったし、数年前までは里山の姿を残していた所は、写真のようにすっかり開発されていた。この反対側に未開発の里山があるとのこと。 ともかく 今後この川に沿って歩き写真をまとめたいと思っている。 今日は約11Kmの歩きになった。 

近隣散策その5 相模原市博物館 (2006/12/15)
町田市博物館で入手した、「保存されている遺跡」を参考に遺跡巡りをしたが、相模原市も遺跡の宝庫であり、博物館で何か手に入れようと出かけた。8.7Kmをノンストップ2時間弱で歩き受付で尋ねたら、そのようなものはないとのこと。展示品は町田より遙かに良かったが、目的のものが無くがっかり。帰途はJR2駅をキセルし、15.9Kmの運動になった。

馬場崎さんのタンカ展とデリー銀座での会食 (2006/12/12)
4月にお茶の水でタンカ展があり始めて拝見したが、このたび銀座で開催されたので、インド旅行の仲間とインド在住5年の若者とでお邪魔した。タンカを見るのは2回目であるがともかく精細なタッチで息を飲み込むすごさを感じる。それぞれの主題の説明を聞くと更に興味が湧いてくる。ちなみにここに観音菩薩八難救済図 の詳細とその他興味を持った作品を記載してみた。
そのご、馬場崎さんをお誘いし四人でデリー銀座に行き、インド在住の友人推奨のメニューを楽しんだ。ここにその料理を記載しておく。インド現地で食べた料理よりも口に合うような気がした 。 インド風創作料理と言うべきか。 いずれも秀逸であった。

遺跡巡りその6 市が尾横穴古墳群と稲荷前古墳群 (2006/12/10)
町田市の遺跡は終わったので、周辺に手を 延ばすことにした。
「市ヶ尾横穴古墳群」 (左写真)
このあたりの丘陵地帯の谷間の崖部には横穴墓群がたくさん作られていたようだ。殆どは開発され住宅地になっている。市が尾のものは副葬品から六世紀後半から七世紀後半の有力農民のものと考えられている。
「稲荷前古墳群」 (右写真)
四世紀から六世紀にかけて、この地を治めた首長の墓と言われている。色んな古墳があり古墳の博物館と言われたが、写真に見える住宅地になってしまい、現在のものがかろうじて残っている だけである。
往路は車で送ってもらったが、14.8Km 3時間半の運動になった。

関東西六会 (2006/12/9)
関東在住の姫路西高六回生が有楽町ニュートーキョー桃杏楼に集まった。関西からの飛び入り2名を加えて18名。これで各人が近況報告を行って時間一杯である。 元気な間は顔を出し続けたいもの。
最後は恒例の校歌と応援歌でお開きである。

近隣散策その4 王禅寺 (2006/12/6)
川崎市麻生区に王禅寺があり、「禅寺丸」と言うカキの品種の原木ががあるというので、見学した。これにちなんで柿生という地名があったが、今は小田急柿生駅にしか残っていない。
駅から歩き始めると右のような「柿生の里散歩道案内図」と言う標識が立っており、これは、観光ポイントの入り口出口の両方に立っている。これを見ながら歩けるのが非常に良い し、案内する道は一人しか通れないような小径などもあり、地元の人の近道が使えてすこぶる付きの良いもの。
写真は王禅寺本堂と右の方に下の写真にもあるがカキの原木である。伝承によれば樹齢450年とのこと。
その後、琴平神社、稲荷森稲荷社、月読神社等を経て自宅まで歩いた。これらはいずれも丘陵のテッペンに鎮座しており参道の石段がきつかった。
約13Km 3時間40分の運動となった。

近隣散策その3 薬師池公園 (2006/12/1)
紅葉は最低気温8℃になって鮮やかになる。今朝今年始めて8℃になった。幸い快晴なので薬師池の紅葉を楽しみに歩いた。紅葉は見事であったが、何時行っても池の周りにはウン10万する高価な望遠レンズを付け三脚を立てた人がたむろして イメージに合う光線を待っている。私には到底手の出ないもの故器具のハンディは腕でカバーしなければ・・・・。それにしてもデジカメの普及と高齢者の画像への執着は「すごい」の一言だ。
帰途はふるさと農具館、七国山の旧鎌倉街道と少々回り道で帰った。左の写真は薬師が池の紅葉、上は先月12日とほぼ同じ場所。右は農具館内 での小学生の社会見学風景と牡丹園での寒牡丹。寒牡丹と冬牡丹は違うものだそうだ。  12Km強、3時間半の歩きになった。

遺跡巡りその5 玉田谷戸横穴墓群 (2006/11/25)
市立博物館で入手した「町田の保存遺跡」 に8カ所の記載があり、最後の遺跡へ歩いた。自宅からここへは一般交通機関はなく往復歩きを覚悟して出かけた。結局11.5Kmの歩きになった。 8カ所の遺跡まとめ
資料にはこの遺跡の名称は玉田谷戸横穴墓群となっており、山道に看板が出ていますと教育委員会で教わった。ところが見つけた案内板は下三輪横穴墓群(写真右上)となっており、これは違うものと歩き続けたら神奈川県に出てしまった。神奈川県側からのほうが分かりやすいと聞いていたので、そこから登り遺跡(写真左上)に到達はした。遺跡の説明文(写真右下)には玉田谷戸の名前は見られるが、下三輪のほうが正式なのでは無かろうか。 玄室の天井や側面に家形の用材が浮き彫りになっていると聞いていたので、 特殊な外部リモートストロボを用いた。(写真左下)

遺跡巡りその4 田端と小山田と町田 (2006/11/22)
市立博物館で入手した「町田の保存遺跡」 に記載の、橋本の近くにある「田端環状積石遺構」と「小山田1号遺跡」を訪ねた。 町田経由橋本から京王線多摩境まで電車で行った。
田端環状積石遺構(写真上)縄文時代後期の墓と祭祀場とのこと。ここに見えている石は地中のものと同様に置いてあるもので本物は調査後埋め戻されている。ここから丹沢の上に富士の山頂が見え、当時から富士は信仰のシンボルだったのかもしれないと思った。
小山田1号遺跡(写真下)は田端から4.6Km 歩いたところにあり、鎌倉〜室町時代の屋敷跡。たまたま遺跡内の補修工事をしていた。崖を切り崩してこのような構築物を作る意味が分からぬが・・・。
町田駅までバスで帰り、教育委員会で先日訪ねた高ケ坂遺跡に属する八幡平遺跡の埋戻石標の位置を尋ねこれまた歩いて写真に記録した(右写真)
ここから歩いて帰宅したが、歩数計は21,000歩を越えて いた。(16.6Km)
 
遺跡巡りその3 三輪地区の遺跡3カ所 (2006/11/20)
市立博物館で入手した「町田の保存遺跡」から三輪瓦窯址、西谷戸横穴墓群、白坂横穴墓群を見学した。三輪瓦窯址(写真左上)は奈良時代の半地下式登り窯で、瓦を焼いていたもの。近くに工人の住居跡もあるが、写真のように煉瓦を敷き詰めてあり、説明の看板も字が消えかかっていた。西谷戸横穴墓群(写真左下)は古墳時代後期(6〜7世紀)に作られたもので9基の横穴墓が斜面に現れている。人骨・直刀・ガラス玉などが出土したそうだ。白坂横穴墓群(右写真)は場所を探してうろうろした。7世紀頃のものでここには横穴古墳が10基ほど開口しており、未開口を含めると10数基あるらしい。そのうち発掘調査された2基を見ることが出来る。 自宅からこれら3カ所を巡り、鶴川駅から電車で帰宅したが、13500歩(約10Km)の歩きとなった。

歩きの小道具 (2006/11/15)
歩くことを思い立ち、10日ほどは革靴で歩いたが、ウオーキング用の靴が欲しくなり靴の量販店に行った。ウオーキング用の靴というと、革靴の所に案内する。「皮ではなくて布のもの」と言うと、小馬鹿にされて面倒を見てくれない。あきらめて近くの靴屋でBROOKSなるものを購入した。2週間歩いて、歩いた距離を知りたくなり、オークションで万歩計を購入し今日届いた。こうして自分を縛っておけば簡単には止めないだろうと思うのは浅はかか。

遺跡巡りその2 高ケ坂遺跡 (2006/11/15)

昨日入手した資料から、大正15年に国指定遺跡に指定された高ケ坂遺跡が適当な距離にあったので早速歩いた。(帰途は町田から電車を使い約6Kmの歩きになった)
縄文中期(約4000年前)の竪穴式敷石住居跡で、住居跡が保存されている牢場遺跡、調査後埋戻石標を建立した八幡平遺跡、埋め戻した稲荷山遺跡の総称とのことだが、牢場遺跡しか探し出せなかった。


遺跡巡りその1 町田市立博物館と本町田遺跡公園 (2006/11/14)
歩きに絶好の天気なので、町田市立博物館を訪ねた。ひっそり閑とした建物。入場無料は良いが見るもの無し。(赤青会コレクションの展示だった)収穫は「見学できる町田の保存遺跡」なるパンフを入手。これを順次巡ってみたいもの。手始め は博物館近くの縄文弥生の遺跡。写真は弥生中期の復元住居。帰途ちょっと回り道してグルメ雑誌に出て鼻っ柱の強かった、ラーメンの雷門に立ち寄った。道路を隔てたところに移転しており、アクの強すぎたスープは様変わりのおいしさになっていた(右の写真)今日も約5Kmの歩きになった。

近隣散策その2 薬師池公園 (2006/11/12)
自宅から約3Kmに薬師池公園がある。歩きに適当な距離なので 木枯らし1号の中を往復した。寛永の頃溜め池として作られた池で、公園内に野津田薬師堂がある。薬師如来像は天平年間に彫られたもので、町田市内では最古のもの。ご本尊は秘仏で12年に一度一ヶ月間だけ拝観できるとか。お参りに行ったら、今日は拝観できますとのことで (調べたら、東京都文化財ウイークの最終日だった)、上がり込みついでにご本尊の写真も撮ってきた。( さすがにフラッシュは遠慮したが) 薬師池公園の四季はこちら

近隣散策その1 初秋の芦ヶ谷公園 (2006/11/7)
一昨年、スキーに行ったものの膝が痛くて満足に滑れなかった。そのとき諏訪湖一週16Kmを歩いたら翌週は4Kmダウンヒルが楽しめた。雪のシーズンが近づいたし、運動不足も気になっていたので、出かけたときには電車一駅を歩くことにした。上り下り共に約4Kmほぼ1時間である。始めて10日間 で6回歩いた。いつまで続くか分からぬが・・・。写真は今日町田からの歩きの途中立ち寄った芦ヶ谷公園である。

蓼科紅葉と温泉の旅 (2006/10/21〜23)


インド在住の友人が一時帰国し、チョイの間の空白を利用して蓼科を巡ることになった。13時に東京を出てまっしぐらに奥蓼科明治温泉に。湯道街道の明治温泉入り口の「弥舎ヶ池」は格好の撮影スポット(右の写真)。
この温泉はこのあたりには珍しい含鉄鉱泉で赤く濁っている(左上の写
真)。夕食はインドでは食べられない「すき焼き」、少々飲み過ぎた。深夜オリオン座流星群を見ようとピラタスロープウエイ乗り場まで上ったが、雲が流れ時折雲の間から流星が見えただけ。
二日目は少々遠出して佐久の布施温泉(左下の写真)、と遠出の疲れ癒しに夕方は蓼科の「音無の湯」と露天風呂のはしご。
紅葉は標高1500〜1700mが見頃で、明治温泉や定宿のペンション歩絵夢は真っ盛りであった。

国立駅の解体 (2006/10/8)
JR中央線の国立駅が中央線の高架化工事に伴い解体されることになり、駅舎保存の動きが出ていたが絶望的になったそうだ。 10日から解体が始まるというので、記念に写真を撮りに行った。東京には珍しく青空の下大勢の人がカメラを構えていた。 50年ほど前に一橋大でのテニス四官大戦に数回訪れただけだが、駅前の感じはすっかり変わっていた。

インドフェスティバル (2006/9/24)
23/24両日代々木公園で「ナマステ・インディア」が開催されていた。 インド在住の知人のWEB管理をしていることもあり、話題作りとインド料理でも食べようかと出かけたが、想像を絶する人人人・・・。写真は渋谷門の横断陸橋からレストランが並んでいる方向を写したもの。15時過ぎでもこの有様。 会場スナップはこちらに。
インドを経験すると、拒絶症になる人と、どっぷりと淫する人のどちらかになり、中間はいないと聞いたことがある。 会場はどっぷり淫だけの集まりであった。

デジカメの不調 (2006/8/26)


私のスナップ機は1999年10月購入の NIKON950 である。未だにこれを上回る画像に出会わないので、ワイドとテレのコンバータまで購入して愛用している。何度か故障しては修理を繰り返して いるが、昨日からスイッチを入れても反応がなかったり、動いても数秒で動かなくなったりし始めた。
スイッチが入らないならばスイッチの故障だろうが、入った後数秒して切れるのは基盤かもしれない。そろそろ代替機を考えなければならないかと、数機種をターゲットに仕様比較なども行いながら、新宿ショールームに持ち込んだ。

説明を始めるやいなや、係員が蓋を固定する「爪」が3カ所欠落していますと言うではないか。老眼鏡でよく見るとまさしく欠落していた。部品代\1000、技術料\2000で新機種への買い換えはまたまた遠のいてしまった。 上の写真は爪が欠落した状況 。(4カ所の内右の1個を残して3カ所が無くなっていた) 下の写真は修理完了後のもの。  最近のものは専用電池を使うものが多く、このように押さえつける蓋は必要なくなっている。古典的故障と言うべきか。

阪神西六会(2006/6/2)


阪神在住姫路西高六回生の例会に参加した。以前神戸に住んでいたときには、皆勤であったが、東京に移ってからはそうも行かなくなっていた。今回は須磨での開催で61名の出席、写真は3年3組の出席者16名である。同期は10クラスあったので、我がクラスの出席率はトップである。12時前から始まり最後は校歌で締めたあと、カラオケで17時過ぎまで年を忘れて騒いだ。
勝手に東京から出かけたのだから、言えたものではないが、高校時代の3年間は大学受験で手一杯、友人と群がるような時間は無かったのだから旧交を温めるような友人もないのだなと痛感した旅だった。

東京工大33金属同期会(2006/5/25〜27)
年1回の同期会が蓼科で開催された。 全員が関東・関西に在住しているので、東海道沿線での開催が多かったが、今回は私が幹事で趣向を変えて見学会も含めてみた。写真は3年後輩の柏木君の柏木化石博物館、技術屋らしい質問が飛び交って思いの外好評だった。詳しくはここに

チベットの宗教画タンカの展覧会(2006/4/30)
タンカに魅せられ、ヒマラヤ山麓の町ダラムサラで30年以上描き続け、今やラマ教徒以外で最深の曼荼羅を描くことが印可された 馬場崎研二 さんが、2年に1回の展覧会を開催しているというので見学した。布地に 岩絵具や金粉で描いてあるもので、写真のものは3ヶ月を要したとのこと。 限定された色数で気が遠くなるほどの緻密さで描かれている。会場の様子等はここに

新宿御苑の遅桜(2006/4/14)
新宿御苑の花見の最盛期はソメイヨシノの開花時期であるが、御苑には沢 山の種類が集められており、時期を外しても結構楽しめる。今年もソメイヨシノの時期にも行ってみたが、今日僅かな晴れ間を狙って 今を盛りの八重桜を撮してきた。首相主催の桜を見る会の準備たけなわであった。 2年前のものだがソメイヨシノの時期の写真はここにある

大岡山の桜(2006/3/31)
東京に住むようになって、桜の季節になると母校の桜を見たくなる。東工大のホームページによれば、3/24日に本館前に歩行者専用デッキが設置されたとのことなので早速カメラを担いで出かけてみた。こちらにも写真があります。

Dual Displayに挑戦(2006/3/14)
写真を扱うにはCRTが良いと思い17"のディスプレイを使って来たが、寿命が見えてきたようなので、Samsungの17"液晶を購入した。ビデオカードがMatroxのG-450で、Dual Displayに対応している、そこでCRTが寿命を迎えるまでDualで使うことにした。2560X1024という広大な画面は快調だ。さすがに同一画面を左右に分割した場合には使いにくいが、2画面が自由に使えると資料の参照などに楽である。それにしても同じ17"でこれだけ実際のサイズが違う。液晶の方は字も大きくて見やすくなった。  これを使い出すと止められそうにない。

八幡製鉄33年入社関東地区同期会(2006/3/3)

 

入社年次から毎年3月3日に開催されている同期会が代々木会館で開催された。 最初に物故者に対して黙祷から始まり、最後は翌年の再会を願って解散というのがお定まりの流れ。 関東地区在住60名の内40数名の参加なので盛会である。話題は年相応に健康の話、次いで昔話となるのも例年通り。 左の写真は光製鉄所在籍経験者。

蓼科でスキーと温泉の旅がパソコンの修理にてんてこ舞い(2006/1/31〜2/4)

往路諏訪南でHDDにエラーのあるマシンがあり、新品と交換し再インストールを行った。12時から17:30で終わり、ものすごい霧の中を手探り状態でピラタスの丘に到着。その夜から娘さんが外国で3年使ったノートの再インストール。バックアップをと外付けのHDDにデータ移行を始めたら、音楽のファイルが数GBもあり時間の掛かること。(ノートはUSB1.1だった)翌日はみぞれと雨でスキーは断念し、ノートのデータ整理と「小齊の湯」。翌2日は雲一つ無い上天気。ロープウエイを使って計20Kmの滑走でへとへと。3日は宿のネット接続不調の交渉をプロバイダと行い、深夜になって内蔵のLANチップがおかしいと推測。最後の日にPCI接続LANカードを購入取り付けて一件落着。


東京工大軟庭部OB会の新年会(2006/1/28)
こちらも同じ日になってしまった。同時期に活躍した人が九州や滋賀からも参加するので「出席せよ」と先輩からのメールも受けており、新年会のはしごとなった。
同一時期にコートで出会うのは先輩3年、後輩3年だけであり、それ以外の人とは面識もない。写真は同期4名の記念写真と、同時期の方との2次会。殆どの方は古希を過ぎて今でもテニスをしていると聞き驚きと羨望。

東京工大鉄鋼材料学講座新年会(2006/1/28)
白金台の八芳園で開催された。田中先生が傘寿、菊池先生が古希、松尾先生が還暦と三つ揃いのお祝いを兼ねて110名を超えるメンバーが参集した。
古い方から数えれば5本の指に入るようになってしまった。写真は先生お二人を挟んでのロートルの記念写真。

数式絵の新年会(2006/1/25)
工大の大山先輩が主催されている数式絵の新年会に参加した。 私は美的感覚が欠如しているので、数式絵は Give Up しているのだが、道具としてパソコンを使うので、パソコンのメンテに関する部分だけお手伝いをしている。 今日はSKYPEをメンバー間の連絡に使うと言うことで数人の方のお買い物もお手伝いした。

蟹と温泉の旅(2006/1/21〜22)
大阪の知人から社内懇親会に参加しないかとお誘いがあり、山陰は初体験なので喜び勇んで同行した。大阪から山陽線、播但線、山陰線を経由して浜坂まで約4時間弱の旅。泊まりは夢千代日記の舞台ともなった湯村温泉で蟹尽くし、ちょっと食傷気味。帰途は山陰線、智頭線、山陽線。山陽線以外は単線、電化なし、ディーゼル特急のみの旅だった。写真は湯村温泉「井づつや」の野天風呂。

謹賀新年(2006/元旦)
年賀のページです。数年前から、所謂年賀葉書は出さないことにし、メールでこのページのアドレスをお知らせすることにしています。近況報告にはこの方が便利と思っています。ただメールアドレスをお持ちでない方には失礼をしています。

 

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