木曽路奈良井宿

蓼科でのんびりと露天風呂を楽しむ予定であった。出発は日曜で東京から離れる方向は高速も空いていた。今回は東名で御殿場から中央道に抜ければ、富士山麓・富士五湖も見られるものと思ったがあいにくの低い雲でガスっていてただ霧の中を走るだけになった。中央道を降りた頃日没、おまけに雨になり道路の中央の白線もない道の走行は疲れてしまった。

2日目は、露天風呂と信州そばと残雪の風景を見て、残りの時間で友人の1年間使ってゴミが増え動きの遅くなったノートのリカバリをする予定であった。ペンションオーナーの案内で塩尻の高ポッチ高原が見晴らしが良いですよと出かけたが、道路が開通して無く、それではと木曽路奈良井宿に変更した。

露天風呂をパスして帰宿後早速ノートパソコンのデーター保存、リカバリを始めた。途中近くのペンションオーナーも交えての夕食も早々に切り上げて、リカバリ後の設定に入ったところでつまずいた。起動時間短縮のために不用と思われるソフトを削除したら、ネット接続が出来なくなった。 どうもセキュリティソフトがネット接続をコントロールしていたらしくそれを削除したためと推測した。プレロードされているソフトなのでそのソフトだけインストールすることも出来ない。

23時半頃から再度リカバリを掛け、各種ソフトのインストール・設定・必要なアップデートを終わったら朝の7時になっていた。2時間ほどうたた寝をして帰宅の途に・・・。

のんびりも無し、露天風呂も雄大な景色も無しの2泊3日であった。収穫は奈良井宿と当該ノートメーカーのプレロード方針を理解出来ただけ。

奈良井宿は武田氏によって宿駅となり、江戸幕府の伝馬制度で中山道六十七宿として定められたものの一つ。この南3.5Kmほどに中山道最大の難所鳥井峠があるので、峠越えを控えて「奈良井千軒」と呼ばれるほどの賑わいであったとか。宿場は約1Kmに亘って当時の姿を残している。  平日にも拘わらず観光バスや自家用車での観光客が多く賑わっていた。

建物は殆どが中二階建て、低い二階の前面を張り出して縁とし勾配の緩い屋根を掛け深い軒を出している。
間口は小さいもので三間、広いものでも十間、平均五間ほど。これが約1Km続いている。

昭和43年頃保存活動が始まったようで、今では部外者の車立ち入りも制限され、電柱は家の裏に移されてこのように一見昔のたたずまいを見せている。

土産物屋。この地域は江戸時代から曲げ物、櫛、漆器などの木工業が盛んな所で今でも土産物として売られてい る。
そばが食べたくて、駐車場の案内係においしいところを尋ねたが、評価することは出来ないと断られ、手近の店に入った。 これが失敗!!。

予め行くことが判っていれば、ネットで調べたものを・・と悔やんでも後の祭り。

収穫はこの記念写真と、腹が満ちたことのみ。

木曽の大橋の構造である。合わせ目には鐵を使い補強しているし釘も使っている。錦帯橋の地元に住んでいた目には些かガッカリ・・・。

宿南端の鎮神社 水場 高札場 町並み 町並み