蔵王社(恋地)

多摩の古道と伝説より要約 
大戸に安閑天皇(在位531〜535年)を祭神とした三つの神社(江柄八幡社、蔵王権現社、御嶽社)がある。これら三つの神社の創立は在位期間より1100年以上後になる。
 安閑天皇の治世の出来事として、屯倉(みやけ)の大量設置があげられる。(屯倉は大和政権の直轄地経営の倉庫などを表した語である) 安閑天皇時代の屯倉がどこにあったか、まだまだ多くの謎に包まれているが、近年の研究でだんだんと境川上流域が見直されて来たようだ。
また、この地は春日谷という地名である。「春日」と言えば安閑天皇の皇后(春日山田皇女)の名前の一部であり、何か関係があるのかもしれない。
 没後1100年以上経ってから、この地に安閑天皇を祀った社が集中していることは興味あることである。
 

蔵王権現社は奈良県吉野にある金峰山寺の蔵王堂の本尊、二臂忿怒形が宗家であって、蔵王菩薩、金剛蔵王菩薩、金峰菩薩、金峰山権現とも呼んでいる。 この社の祭神は弥勒菩薩、安閑天皇、少名毘古那命などの説がある。
 
また八雲神社、山王社、諏訪神社も安閑天皇を祭神と しているという記事もあり、今後調査したい。
町田市史(下巻)から要約
昔は蔵王権現といい今も「権現様」との俗称がある。延享2年(1745)11月1日吉沢小兵衛により恋地に奉斎したが、寛文7年(1667)3月の検地の際には除地として田二畝歩、畑二〇歩があった。
祭神は安閑天皇を奉斎し、氏子5戸。 例祭日は毎年11月15日。

相原の歴史(相原を学ぶ会編)から要約
創立 延享2年(1745)11月1日、吉沢小兵衛により奉斎した。 昔は蔵王権現といい、今も「権現様」との俗称がある。

町田風土記(森山兼光著)から
相原の神社:延享2年 (1745)創建の蔵王社とある。

 

祭神 安閑天皇
由緒 由緒書きなし 。 享保9年(1725年)建立。 「恋路の坂」の伝承で、二人の首を打った刀を納めたという。
神官 常駐せず 宮司:不明

所在地 町田市相原町5050番

急勾配の石段を上がるのは息が切れた。 勾配はほぼ45度、石段には靴が半分ほどしか掛からない。手すりはない。帰りには左の写真の奥手に易しい道があってほっとした。
 
恋路の坂の伝承  『多摩の古道と伝説』より要約

大戸から高尾に続く町田街道は大戸から坂を上ることになる。この坂を「恋路の坂」という。その昔川中島の戦いで、謙信が馬をとばして信玄に斬りつけようとしたとき、槍の柄で謙信の乗馬の尻を猛打して信玄を救ったといわれる原大隅守胤歳を先祖に持つ八王子千人頭原半左衛門の娘が、禁断の掟を破って奉公人の下男と不義の恋仲になった。一徹な原氏は二人をこの地まで連れ出して哀れにも首をはねさせたという。その刀を不浄の刀であるとして蔵王権現社に納めたといわれるが、いつの間にか消えてその行方も分からないという。