諏訪神社

 
Wikipediaより諏訪大社について
祭神:上社 建御名方命(たけみなかたのみこと) 、八坂刀売命(やさかとめのみこと)
下社 上社の2柱の他に 御兄八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)

本来の祭神は出雲系の建御名方ではなくミシャグチ神、蛇神ソソウ神、狩猟の神チカト神、石木の神モレヤ神などの諏訪地方の土着の神々であるとされる。なお、上記の神々は現在は神性が習合、混同されているため全てミシャグチか建御名方として扱われる事が多く区別されることは非常に稀である。神事や祭祀は今尚その殆どが土着信仰に関わるものであるとされる。
八幡や住吉など他の信仰にも見られるように個々の祭神が意識される事は少なく、纏めて「諏訪大明神」として扱われる事が殆どで他に「お諏訪様」、「諏訪大神」などと呼ばれている。
 
町田市史(下巻)から要約
信州下諏訪大明神を養和元年(1181)3月22日に別当高岳坊長温が、氏子とともに丸山の現在地に相原山大明神として勧請したもの。寛文7年(1667)検地の時三反歩の除地があった。寛文11年の検地の際、社領一五斗を受けた。元和元年(1615)ごろ山火事のため社殿焼失、享和2年(1802)11月社殿の再建を行っている。 明治44年(1911)12月23日には大谷戸の神明社、七国の神明社、開都の御嶽社(旧三社神社)、根岸の日枝神社などを合わせ奉遷し、さらに大正2年(1913)10月18日には境の山王社・稲荷社、陽田の疱瘡社を合祀した。
社宝の鰐口に元文5年(1740)の銘があり、仙光院よりの奉納である。
例祭には、市無形文化財の丸山の獅子舞が社前で奉納される。
祭神は建御名方命、天之御中主命、安閑天皇、大巳貴命、少彦名命、宇迦之魂命を奉斎している。
例祭日毎年8月20〜21日。  この神社境内の名木百選のケヤキには豆蔦の寄生が有名である。

相原の歴史(相原を学ぶ会編)から要約
☆ 信州下諏訪大明神を養和元年(1181)に別当高岳院長温が村人と共に相原山大明神として勧請した。
元和元年(1615)頃、 山火事により社殿焼失。 元和3年(1617)高岳院長厳(9世)が諏訪加賀他、郷上の志士と共に社殿再建。丸山獅子舞奉納される。
文政5年(1822)新編武蔵風土記稿によれば「諏訪明神社、除地二十間に三十間。宇丸山にあり。入口に石階24級を設く。小社にて覆屋あり。三間に三間半、鳥居1基を立。柱間二間」とある。
☆ 祭神は天之御中主命、建御名方命、宇迦之御魂命、大巳貴命、少彦名命、安閑天皇。
☆ 例祭日 8月20日、21日
☆ 境内 992坪
 

祭神 建御名方命(たけみなかたのみこと) 、天之御中主命、宇迦之御魂命、大巳貴命、少彦名命、安閑天皇。
由緒 境内に由緒書はない。 その昔、この地方に疫病が大流行人々は困窮の極に達し、当時の別当高丘院長長温は里人と計り、養和元年(1182年)信州下諏訪より諏訪大明神を丸山の地に勧請し 相原山大明神と称して村人の安全と五穀豊穣を祈った。 元和元年(1615年)山火事のため社殿を焼失したが、元和3年(1618年)再建した。
明治44年七国の神明社、大谷神明社、橋本御嶽社、根岸日枝神社を合祀し、大正2年境山王社、橋本稲荷社、陽田疱瘡社を合祀している。
神官 常駐せず。  宮司:町田市相原 中村富江

所在地 町田市相原町1743
町田市名木百選 ケヤキ 樹齢500年以上 
特に珍しいのは、表皮にマメズタが着生し美観を添えている。人呼んで「玉蔦のケヤキ」。

 

 
 

町田市無形文化財
毎年8月のお祭りで町田市指定無形民俗文化財である丸山獅子舞が奉納されている。奉納日は8月下旬である。

相原の歴史(相原を学ぶ会編)から要約
丸山獅子舞 昭和38年10月22日 町田市無形文化財に指定される。
この獅子舞は、元和3年(1617)諏訪神社再建のとき、村人が五穀豊穣と氏子安泰を祈って奉納されたのが始まりとされでいる。
獅子舞は「花かがり」といい、二頭の雄獅子と一頭の雌獅、そして仙人(村の長老「ささら」)と、舞うもので、情緒豊かな獅子舞です。獅子舞は保存会を中心に地域の小学生により受け継がれ伝統を守っています。