春日神社

 
Wikipediaから春日神社について
春日神(かすがのかみ)は、神道の神である。春日明神または春日権現とも称される。春日大社から勧請を受けた神のことであり、神社の祭神を示すときに主祭神と並んで春日大神などと書かれる。春日神を祀る神社は春日神社などという社名になっており、日本全国に約1000社ある。
春日大社の祭神は以下の四柱の神であるので、春日神の本体は以下の四神ということになる。
天児屋根命
武甕槌命
経津主命
比売神
春日神は藤原氏・中臣氏の氏神である。
ただし、春日大社にこの四神が祀られることになるのは768年のことで、それ以前の春日の地では榎本明神が祀られていた。現在は春日大社の摂社の榎本神社に祀られている。江戸時代に猿田彦神のこととされるようになったが、それ以前は巨勢祝あるいは巨勢姫明神という神が祀られていた。この神は当地の地主神と考えられ、当地に基盤のあった春日氏の氏神とされる。
 
町田市史(下巻)から要約
宝永4年(1707)9月に春日大明神を造立したことが社宝の棟札にあり、別当寺の蔵福寺法院頼盛が今の地に奈良の春日大社を勧請した。 社領として朱印八石の寄進を受けていた。
天保11年(1840)に拝殿を造立し、明治24年(1891)2月にも社殿を再建した。 明治43年(1910)4月15日、打越の白山神社、東方の八坂神社、中程の八幡神社、住吉の住吉神社、東方の稲荷神社・諏訪神社、井ノ花の稲荷神社の7社を合祀した。
現在の社殿は昭和9年(1934)10月13日の再建になるもの。 現存していないがご神体は頭に青龍を頂き持笏している座像であった。 祭神は天津児屋根命を奉斎している。  例祭日毎年9月1日。

町田風土記(森山兼光著)から
大蔵の神社:武蔵風土記稿には春日社・八幡社・住吉社・天王社・白山社・稲荷社(3)・諏訪社の9社が記され、
明治22年頃には春日神社・八幡神社・住吉神社・白山神社・稲荷社(2)・諏訪神社・八坂神社の8社が祀られています。
明治43年に八幡・住吉・白山・稲荷(2)・諏訪・八坂の7社が、宝永4年(1707)に建立された春日神社に合祀されました。

上記の内、八坂神社は明治43年に春日に合祀されたとあるが、社殿は残っており7月15日の例祭は行われているということで、確かに社殿は現存している。

 
祭神 天児屋根命(あめのこやねのみこと)
比売神(ひめのかみ)
由緒 創立は宝永四年(1707年)別当増福寺法印頼盛が春日大社を勧請したとされるが、この一帯では古墳時代から平安時代の村の跡が発掘されており、古代から村の信仰の場として機能していたと考えられる。
明治24年各地に祀られていた7社を合祀(白山社、八幡社、住吉社、諏訪社、八坂社、稲荷社、稲荷社)し、大蔵の総鎮守として多くの人の信仰を集めた。
現社殿は昭和九年の造営である。
神官 常駐せず 宮司:池田文彦

所在地 町田市大蔵町2822
 

鳥居は2重になっている。周囲は住宅地になっているが、社としての尊厳に必要な面積は残してあるようだ。
 
本殿の裏手の方にこのような祠が祀られてある。これらは合祀された7社のものである。
 
わが町 大蔵 (大蔵町誌編集委員会編)より要約
春日神社の北側を平成9年遺跡調査を行い、関東ローム層から旧石器時代(大略13000年前)の遺物が出土している。また縄文時代の陥穴が多数見つかっているが、住居跡が見つからないことから、狩り場であった可能性が高い。

由緒にあるように、創立は宝永四年(1707年)別当増福寺法印頼盛が春日大社を勧請したとされるが、当時は神仏混淆だったので、春日神社はこのとき造られたのではなく、以前からこの地で祀られていたものであろう。