札次神社 (ふだつぎ)

 
勧請元の鹿島神宮のWEBに武甕雷命の功績が述べてある。
社伝によると創建は神武天皇即位の年(BC585)とのこと。
第十代崇神天皇(すじんてのう)の時代(BC97〜BC29)、疫病が蔓延し鹿島の神の神示を得て御幣物(ごへいもつ)を鹿島の宮に奉納されたと言う。 この事から第十代の天皇の御世(みよ)には、鹿島の宮が既に存在していたことになるとしている。
 
町田市史(下巻)から要約
常陸國(茨城県)一之宮である鹿島神宮を奉遷したものだが、創建の年代は明らかでない。寛文6年12月の検地の時には札次大明神の朱印社領高として十二石二斗を受けていた。宝暦6年(1756)8月に再建している。また、合祀した津島神社はもと片所にあって安永8年(1779)11月の創立であり、八坂神社とともに明治40年ごろ札次神社に合わせ祀ったもの。
例祭日は毎年7月27日。 湯花の神事を行う。 境内には子孫繁栄と養蚕信仰の子種石がある。

町田風土記(森山兼光著)から
小山の神社:武蔵風土記稿には札次明神社・御嶽社・飯繩権現(暦応4年創建)・三座相殿(稲荷・愛石・天神)・金比羅秋葉相社・神明社の6社が記され、
明治12年頃には札次神社・御嶽神社・飯繩神社・三座相殿・山王社・神明社・稲荷社〈慶長9年創建)・諏訪神社(慶長9年創建)・津島神社(安永8年創建)の9社が祀られています。
明治40年頃に津島神社が札次神社に合祀され、通称〃三ツ目の山王様〃は日枝神社と称し、稲荷社は馬場の日枝神社に合祀されました。

武蔵風土記稿に記載されていた札次神社に津島神社が合祀されたことは町田市史・風土記・神社に表示の由緒書に記載されているが時期が異なる。八坂神社の合祀は町田市史・由緒書にあるが時期が異なる。

 
祭神 武甕雷命(たけみかずちのみこと)
由緒

(要約)

創建の年代は不詳だが、常陸国(茨城県)一之宮鹿島神宮を勧請したもので寛文六年(1666)の検地時礼次大明神の朱印領高二石二斗を受けた。 
昭和26年津島神社と八坂神社を合社した。
昭和60年神楽殿と社務所を新築 。 平成11年本殿覆屋建替。
神官 常駐せず 宮司:不明

所在地 町田市小山ヶ丘
町田市名木百選 シラカシ
町田市名木百選 ヤマサクラ

何時訪問しても境内は綺麗である。氏子が掃除をしているのだろう。 右写真は鳥居の右の津島神霊と記された石碑とその手前の子種石。
 
町田の歴史をたどる(町田の歴史をたどる編集委員会編)から要約
札次神社の例祭は7月27日である。御輿と山車が出るが、興味深いのは湯花の神事である。 神社の庭でお釜に湯を沸かし、それを笹の葉で周りの人に振りかける。こうすると無病息災という。 この神事は江戸時代の地誌「新編武蔵風土記稿」に記載されており、 他に、下小山田の内の御前社(現在の小山田神社)や上小山田の上根神社などでも行われている。
 
町田の民話と伝承(町田市文化財保護審議会編)から
札次神社の子種石
世は戦国時代のころ、弘治年間(1555~1557・川中島の戦いがあったころ)に、小山町三ツ目の島崎家の祖先が三ツ目に土着した。島崎氏は常陸の国(茨城県)行方郡島崎村の出で知られた武将であったが、この地に土着するとき、この石を持ってきたと伝えられている。そして、石を小山町字町有の裏山の俗称瓦尾根の路傍(現尾根緑道)に祀って、武運長久と子孫繁栄を日夜祈願したともいわれている。不思議なことに、この石は子に恵まれない女性が、夜の丑の刻(1時〜3時)に、往復とも人に会わずにお参りして、なにとぞ子を授けてほしいと石を撫でながら祈願すると子種が授かるが、もし道中で人に出会うことがあるとご利益がないという。またご利益で子の授かった者も多数あるとも伝えられている。このようなことから、「子種石」と呼ばれるようになったが、本家本元の島崎家も子孫繁栄の霊験のせいであろうか、現在三ツ目で島崎姓を名乗る家は百戸を越えるという。この子種石が一時期、盗難に会う事件もあったので、現在は小山町の鎮守である札次神社の境内に移されており、祈願の信者から神社に寄せられるお札のたよりや、志納は今も絶えないとのことである。