杉山神社(西田)

 
「都筑の郷」 杉山神社の鎮座場所から
金森村:金森村は、郡の南にあり、【小田原役帳】にはこれも小山田庄とあれど、今はその唱を失へり、家数五十軒にして所々に散在せり、東西僅二町にあまり、南北は十二町ばかり、村内中央に一條の往還あり、字を太田美智と呼ぶ、北の方原町田村より入て、南の方小川村に貫けり、こゝより橘樹郡神奈川宿へ通ふ小径あり、当所は原野に添し村にして、すべて平地なり、水田少して陸田多し、水旱ともに患あり、
杉山社 : 社地三百坪、無年貢地、下同字西田にあり、鎮座の年代をしらず。
 
町田市史(下巻)から要約
「西田の杉山社」という。 当社は創建の年代は明らかでない。高木伊勢守の館の鬼門の守護神として奉斎したとの伝承がある。(神奈川県大和市下鶴間に高木部落あり) 社殿、参道とも大和市の方向に向いていて、氏子は北側の裏に居住している。境内に神木のイチョウがある。
末社に刀鍛冶の守護神である金山彦を祀る
金山社がある。
この神社は金森杉山社とご神体を隔年奉遷して祭典を行う。例祭日は10月5日である。
 
町田町の歴史第二巻(市教育委員会編)から要約
この神社は歴史的に見落とせない配置である。神社の鳥居が西田部落の反対の農道向きに立っている。始めは正しい位置を占めて鎌倉道を向いていたものが、後生道路の変遷によって変則な姿勢になったもの。 古道の通過した頃の創立を意味し相当の古社であることを示している。

金森村の歩んだ道(金森村文化遺産保存会編)から要約
明治39年8月政府は勅令220号により一村一社を基準とする神社合併の方針を示しし、町田市域では明治44年に神社の合祀が行われた。基準は無格社で財産もなく維持困難な神社とされ、鎮守として人々の信仰を集めた神社を統合することは出来ないとして、金森村では西田地区の杉山神社・菅原神社・金山神社はそのまま温存された。
 

 
祭神 日本武尊(やまとたけるのみこと)
由緒

(要約)

境内に由緒書などないが、町田市発行の「名木百選写真集」に宮司池田正盛氏が次のように述べている。
神奈川県大和市公所(ぐぞ)の高木部落は、南北朝時代高木伊勢守の居城があり、城の守護神である日本武尊(やまとたけるのみこと)を奉齋する杉山神社を城より東北の方位(鬼門)に鎮座して城の鬼門除けの守護神とし、イチョウを植えてはるか城中より拝礼して無事長久を祈ったもの。
神官 常駐せず。  宮司:町田市能ヶ谷 池田正盛
所在地 町田市金森1621番
町田市名木百選 イチョウ 樹齢300年以上の雄株。 雷の被害を受けたらしく幹が途中で折れている。

鳥居はあるがご神木のイチョウの影でひっそりと存在している。拝殿の背後に比較的大きな本殿がある。鳥居の前に石像が、本殿横に石の祠がある。
 
杉山神社について
ネットで杉山神社を検索すれば沢山のサイトが見つかる。それらを簡単に纏めると、
1)杉山神社は武蔵の国にのみ存在し72社あった。(町田市内に5社ある)
2)由緒がはっきりしている社はない。
3)祭神は五十猛命、日本武命を祀っているところが多い。