金森杉山神社(本村)

 
「都筑の郷」 杉山神社の鎮座場所から
金森村:金森村は、郡の南にあり、【小田原役帳】にはこれも小山田庄とあれど、今はその唱を失へり、家数五十軒にして所々に散在せり、東西僅二町にあまり、南北は十二町ばかり、村内中央に一條の往還あり、字を太田美智と呼ぶ、北の方原町田村より入て、南の方小川村に貫けり、こゝより橘樹郡神奈川宿へ通ふ小径あり、当所は原野に添し村にして、すべて平地なり、水田少して陸田多し、水旱ともに患あり、
杉山社: 社地、三畝十歩、村の西北の方にあり、鎮座の年代詳ならず、上屋三間四方なり、東に向ふ、神体は木の立像にして長五寸、社前に鳥居二基をたつ、例祭年々九月廿八日、 村持。
 
町田市史(下巻)から要約
当社の創建は明らかでない。天和3年(1683)12月に旗本の高木伊勢守の一族が下屋敷内に再建したことが社宝の棟札にある。境内末社に八坂神社がある。7月15日が祭典日。
現在の社殿は昭和11年10月5日の新造になるもの。西田の杉山神社と同日の祭典のため、昔から隔年ご神体を奉遷して祭礼を行っている。境内地に商人の神である弁財天を祀る
渋池神社がある。祭典は毎年4月の初巳の日に行う。本社の例祭日は毎年10月5日である。
 
町田町の歴史第二巻(市教育委員会編)から要約
西田の杉山神社を310余年前に分神したのがこの、杉森神社である。しかも高木伊勢守の発願の結果創立されたことを考えても当時相当の繁栄と関心を寄せられていたものであろう。

金森村の歩んだ道(金森村文化遺産保存会編)から要約
隔年の例祭日にはご神体の木の立像を西田の杉山神社と交代で安置し祭りが執行されるが、ご神体のある社が「本祭」不在の社を「影祭り」と言う。
初代高木清秀の曾孫守養が天和2年に父守久に続き従5位下伊勢守に叙せられた神恩に感謝、翌年再建したと言われている。再建持の棟札の裏面に奉納人高木伊勢守関連の氏名が記述されており、家来以外に末尾に高木伊勢守奥に並び同於鶴とあって、恰も側室都の説があったが、伊勢守の長女であることが判明した。

 
祭神 日本武尊
由緒

(要約)

天和3年(1683年) 旗本高木伊勢守の一族が下屋敷内に奉斎し武運長久を祈願した。慶応2年(1866年)社殿を造立、昭和11年現在の拝殿を新築した。
境内社には八坂神社 祭神素盞鳴命を奉斎し、境外地に渋池神社を祭り、地域の守護神 渋池弁財天として崇拝されている。
神官 常駐せず 宮司:不明 ただし境内に住居あり

所在地 町田市金森326番

右は境内にある八坂神社(祭神:素盞鳴命)  疫病除けの神として、7月15日夏祭りが行われている。
 
杉山神社について
ネットで杉山神社を検索すれば沢山のサイトが見つかる。それらを簡単に纏めると、
1)杉山神社は武蔵の国にのみ存在し72社あった。(町田市内に5社ある)
2)由緒がはっきりしている社はない。
3)祭神は五十猛命、日本武命を祀っているところが多い。
金森の杉山神社
天和3年(1683年)創建と言う。
境内は細長い区画で鳥居から拝殿まで100m位あり、清潔感がある。丘陵の頂にあるが、周囲は民家が密集している。
社殿は昭和11年10月に新築しているが、拝殿軒下の彫刻は見事である。彫刻の一部に当時の紅の色彩が残り風情がある
摂社は境内に八坂神社(素盞鳴命)・境内外に渋池神社(渋池弁才天)が祀られている。