天満宮

 
江戸時代にはこの付近は小名名「時宗久保」と呼ばれていた。
Wikipediaから
天満宮は、菅原道真を祭神とする神社。政治的不遇を被った道真の怒りを静めるために神格化し祀られるようになった御霊信仰の代表的事例である。「天神」(てんじん)、「天神さん」とも呼ばれる。社名は、天満神社、祭神の生前の名前から菅原神社、天神を祀ることから天神社などとなっていることもあり、また、鎮座地の地名を冠していることもある。ただし、「天神社」については、天津神を祀る神社という意味のものもあり、これは菅原道真とは関係がない。
道真を「天神」として祀る信仰を天神信仰という。
道真が亡くなった後、平安京で雷などの天変が相次ぎ、清涼殿への落雷で大納言の藤原清貫が亡くなったことから、道真は雷の神である天神(火雷天神)と同一視されるようになった。「天満」の名は、道真が死後に送られた神号の「天満(そらみつ)大自在天神」から来たといわれ、「道真の怨霊が雷神となり、それが天に満ちた」ことがその由来という.。

金森村の歩んだ道(金森村文化遺産保存会編)から要約
明治39年8月政府は勅令220号により一村一社を基準とする神社合併の方針を示しし、町田市域では明治44年に神社の合祀が行われた。基準は無格社で財産もなく維持困難な神社とされ、鎮守として人々の信仰を集めた神社を統合することは出来ないとして、金森村では西田地区の杉山神社・菅原神社・金山神社はそのまま温存された。
新編武蔵風土記稿には祭神の記載はなく、明治12年社寺明細帳には祭神「雷神」と記述されている。農耕民族にとって戸外で働く人々が落雷で命を落とすことから、雷を鎮めること、雨期に雨を願うことから祀られてきた。高句麗出身の渡来人の雷神信仰もあった。 境川の沿岸開発に多くの渡来人が定住し金山神社を奉斎したと思われるが、天満宮もこれら渡来人の雷神信仰により祭神「雷神」として祀られたあと、後に「菅原道真」となったことが想像されている。

 
祭神 菅原道真公
由緒

(要旨)

 

昭和62年金森・西田の氏子と金森3丁目崇敬者の協力で修復造営が行われた。
神官 不明

所在地 町田市金森

拝殿前の石碑の裏面には、奉納 金森氏子、西田氏子、新都市コンサルタントの名前が彫られている。昭和62年の修復造営に建てたもので都市計画がらみの修復だったのだろう。拝殿の中には木造の本殿が入っている。拝殿左に修復時の寄進者名簿があるが、薄れて読みにくいが基礎奉納者として「西田杉山神社」「金森杉山神社」の2社が寄進している。