金比羅神社

 
鳥居の額には「金比羅社」となっている。町田街道に沿い、伝重寺の隣である。
 
町田市史(下巻)より要約
文化5年(1808)に伝重寺14世の誉原浄の時、四国の金刀比羅宮よりの勧請である。昔は伝重寺の地内に奉斎していた。俗に「こんぴらさん」と称している。祭神は大物主神。 例祭日は毎年4月10日。
例祭日が4月10日というので出かけてみたが、催し物は何もなかった。

町田風土記(森山兼光著)から
木曽の神社:文化5年(1808)に伝重寺十四世誉原浄のとき、四国の金刀比羅宮より勧請された金刀比羅神社があります。

 
祭神 大物主神(おおものぬしのかみ)
由緒 文化5年(1808)に伝重寺十四世誉原浄が四国の金刀比羅宮より勧請したもの。
神官 常駐せず 宮司:不明

所在地 町田市木曽町1439番

高さの低い鳥居が立っており、狛犬2対、灯籠1対がある。拝殿右には伝重寺が控えており、この社の裏は墓地になっている。左には赤色の鳥居が立っているが扁額には何も記入されていない。その奥には3つの境内社があ り、左から央の稲荷社、不明の祠が、その右に秋葉神社の祠がある。いずれも石造りである。
 
Wikipediaから
金毘羅神社は、香川県仲多度郡琴平町の金刀比羅宮を総本社とし、その祭神である大物主神を祀る神社である。日本全国に存在する。金刀比羅(ことひら)、琴平(ことひら)と称するもの、「神社」ではなく「宮」と称するものもある
金刀比羅宮は、元はその鎮座する象頭山の神を祀るものであった。古くから象頭山は瀬戸内海の航行の目印とされてきたことから、象頭山の神は航海安全の神として信仰されるようになった。後に、象頭山の神は大国主神の和魂である大物主神と同一視されるようになった。中世に神仏習合が盛んになると、仏教の守護神である十二神将の一柱である宮比羅大将(クンピーラ神、金毘羅)と同一視されるようになった。これは、元となったクンピーラ神が鰐の神であり、これが日本では龍神と考えられたためである。そのため、航海安全だけでなく、祈雨の神として農民からも信仰された。
江戸時代に船による流通が盛んになると、海運業者や商人によって金毘羅信仰が日本中に広められ、分社が各地に作られた。現在、金毘羅神社は日本全国に約600社ある。

昭和38年発行の「忠生村誌」には次のようにある

祭神 大物主神

江戸の中期、讃岐國金刀比羅宮より御分霊を勧請、創建したとつたう。本社金比羅宮は水上交通の守り神であるが、当社は一般交通、旅行安全の守護神として、4月10日の例祭。

右の写真は忠生村誌に掲載されていたものだが、昭和38年にはこのように巨木が生えていたものを示している。開発とは寂しいものと考えさせられる。