秋葉神社

 
Wikipediaから
秋葉神社(あきばじんじゃ。地方によっては「あきはじんじゃ」とも読まれる。)は日本全国に点在する神社である。神社本庁傘下だけで約400社ある。
神社以外にも秋葉山として祠や寺院の中で祀られている場合もあるが、殆どの祭神は神仏習合の火防(ひよけ)・火伏せの神として広く信仰された秋葉大権現(あきはだいごんげん、現在の秋葉山本宮秋葉神社を起源とする)である。一般に秋葉大権現信仰は徳川綱吉の治世以降に全国に広まったとされているが、実際には各地の古くからの神仏信仰や火災・火除けに関する伝説と同化してしまうことが多く、その起源が定かであるものは少ない。
現在の祭神は火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)。江戸時代以前は、三尺坊大権現(さんしゃくぼうだいごんげん)を祀(まつ)る秋葉社(あきはしゃ)と、観世音菩薩を本尊とする秋葉寺(あきはでら、しゅうようじ)とが同じ境内にある神仏混淆(しんふつこんこう)で、人々はこれらを事実上ひとつの神として秋葉大権現'(あきはだいごんげん)や秋葉山(あきはさん)などと呼んだ。古くは霊雲院(りょううんいん)や岐陛保神ノ社(きへのほのかみのやしろ)などの呼び名があったという。
祠の場合は火伏せの神でもあるため、燃えにくい石造りの祠などが見かけられる。小さな祠であることが多く、一つの町内に何箇所も設置されている場合もある。
 
手持ちの地図で大泉寺の入り口と境内に神社があるので訪問したが、入り口の神社しか見つからなかった。 その後整理していたら、入り口の神社は境内の神社を移したものと分かった。とすれば 本来の入り口の神社は未だ訪問していないと探しに出かけ、この秋葉神社を特定できた。

町田風土記(森山兼光著)から
下小山田の神社:武蔵風土記稿には内御前社(未社として秋葉・聖天・天王・天神・弁天・稲荷の6社が社の左右に祀られる)・白山社・宇都宮社が記されています。
明治12年頃には内ノ御前社・白山社・宇都神社・金明社・住吉社・熊野社が祀られていますが、明治21年頃には熊野社が廃されています。
内ノ御前社は社名変更(年代不詳)し「小山田神社」になり、昭和40年に古全社(天和2年創建)・住吉明神(嘉永3年創建)・白山社(享保4年創建)の3社が、宇都神社(万治3年創建)に合祀され、地名に因んで〃上根神社〃に社名変更しました。

風土記には、内御前社の未社として秋葉社があるが、内御前社は小山田神社になっており、この秋葉神社が内御前社の末社であったとは考えられない。 この設置場所は小山田氏の居城だったと言われる場所にあり、小山田氏が奉斎したものと考えるべきだろう。

 
祭神 火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)
由緒 不明
神官 不明

所在地 町田市下小山田町

左は大泉寺入り口から見たもので、新しい神社が以前境内にあったもの。左奥の赤い屋根が秋葉神社である。お隣に別の神社があるとは考えもしなかった。 秋葉神社には鳥居が無く石の階段を上がったところにある。外部には表示がないが、中を覗くと「秋葉三尺坊大権現咒」と書いた張り紙があったので秋葉神社と推定した。
 
町田の歴史をたどる(町田の歴史をたどる編集委員会編)から要約
秋葉神社の例祭は11月16日。この日の夜村人たちが集まり、社前で火事のないことを祈って火を焚く。神社なのだがお祭りには大泉寺の住職が来てお経を上げる。神仏混淆のの名残。
 
町田の民話と伝承(町田市文化財保護審議会編)から
秋葉神社の火祭り
大泉寺の境内で、観音さまの右側の一段と小高いところにあるのが、「秋葉さん」と呼ばれる火伏せ(火難除け)の神さまが把られた秋葉神社である。毎年11月16日の夜には社前の広場で、神秘的な「口火祭り」が行われる。農家(現在は町内各戸)が持ち寄ったマキを積みあげ、赤々と燃え上がった炎が、取り巻くスギの老樹を映しだすと、昔ながらの神事の世界にひきこまれた思いがする。ところがこの神事を執行するのは、宮司の神主ではなくて、大泉寺の住職と寺世話人(役員)たちで、僧侶が神前に進み、献燈し、神酒を捧げ、経読してはじまる火祭りは、たいへん珍しい「神仏混淆」の神事ということで、最近は民俗学者のあいだでも注目されている。
農家が麦を作っていた時代には、「麦蒔きは火祭りまでに終わらせろ」という格言があり、農耕行事の節目としてもだいじにされた火祭りであった。