白山神社

 
Wikipediaから白山神社について
白山神社(はくさんじんじゃ、しらやまじんじゃ)は、白山の神を祀る神社である。
石川県白山市の白山比盗_社を総本社とする。祭神は菊理媛神(白山比盗_)・伊弉諾尊・伊弉冉尊の三柱としているものが多い。
日本各地に2千7百社あまりあるが、特に岐阜県・石川県・新潟県・静岡県に多く分布する。古くから比叡山・天台宗と関係があり、天台宗の普及とともに各地に勧請された。
しかし、この三社のうち延喜式神名帳に記載されているのは白山比盗_社だけであるため、明治時代に白山比盗_社が「日本全国の白山神社の総本社」と認定され、各地の白山神社の多くは「白山比盗_社から勧請を受けた」というように由諸を書き換えた。
Wikipediaから菊理媛神について
白山の神は女の神様で、白山比盗_(シラヤマヒメノカミ)またの名を菊理媛神(ククリヒメノカミ)といい、イザナギノミコト、イザナミノミコトと共に白山比盗_社に祀られています。
菊理媛神は日本書紀にだけ登場します。たった一ヶ所で、それも名前が一回出てくるだけ、と言っても良いようなわずかな記述です。その部分は、だいたい次のような話になっています。
 イザナギ、イザナミの夫婦の神様はたくさんの国や神様を産みますが、イザナミは最後に火の神様を産んだために死んでしまい黄泉の国へ行きます。イザナギは未練がましくイザナミを訪ねていきますが、すでに黄泉の国の住人となっていたイザナミは、ひどく醜い姿に変わっていました。そして二人は言い争いをします。訪ねていったことを悔いたイザナギは逃げるようにして、黄泉の国の入り口(泉平坂・ヨモツヒラサカ)まで戻ってきます。その時、菊理媛神がイザナギに何かを言います。イザナギはそれを聞いて、善(ほ)めて、黄泉の国から退出します。

 
町田市史(上巻)から要約
白山社は加賀の白山を対象とする山岳信仰で天台密教に習合して白山権現と称し比叡山と本末関係を結んだもので修験者の有力な修行地であった。図師の大蔵院が白山社を祀った本山修験であり小山田一族に庇護されていた。
 
町田市史(下巻)より要約
創建の年代は不詳である。大沢の宮ヶ腰に鎮座して、祭神は志良屋満比売命(しらやまひめ)を奉斎している。祭礼には境内において湯花の神事を行う。 例祭日は毎年八月末日である。 現在の社殿は昭和41年4月25日の新築になるもの。

町田風土記(森山兼光著)から
下小山田の神社:武蔵風土記稿には内御前社(未社として秋葉・聖天・天王・天神・弁天・稲荷の6社が社の左右に祀られる)・白山社・宇都宮社が記されています。
明治12年頃には内ノ御前社・白山社・宇都神社・金明社・住吉社・熊野社が祀られていますが、明治21年頃には熊野社が廃されています。
内ノ御前社は社名変更(年代不詳)し「小山田神社」になり、昭和40年に古全社(天和2年創建)・住吉明神(嘉永3年創建)・白山社(享保4年創建)の3社が、宇都神社(万治3年創建)に合祀され、地名に因んで〃上根神社〃に社名変更しました。

風土記によると、武蔵風土記稿に記載、明治12年にも存在していた白山社は昭和40年に宇都神社に合祀され上根神社になっている。 この白山神社は町田市史にも記載されており、上根神社に合祀された社とは違うのかも知れない。

 
祭神 祭神:菊理媛神(推定)(くくりひめのかみ)  日本書紀の黄泉の国の場面だけに登場する神
由緒  
神官 常駐せず 宮司:不明

所在地 町田市下小山田町898番

鳥居の左に見える小さな祠が下に示す「地神斎(地神塔)」と思われる。 拝殿の前に引きがないので正面からの写真は撮れない。
 
「小山田展」の中の「祈りと信仰の旅」に以下の記述がある。(要約)
「地神斎(地神塔)」・・白山神社の鳥居脇に建っている。弘化4年(1847)建立された。通例「地神塔」と呼ばれ、土地の神、百姓の神としての「地神」を祭るもの。