飯守神社 |
Wikipediaから「國魂」について 国魂(くにたま)とは、神道の観念の一つで、国(令制国)または国土そのものを神格化したものである。国霊とも書く。 本居宣長は、「その国を経営坐(つくりし)し功徳(いさお)ある神を、国玉国御魂」というと書いている。古来、国を治めるのは為政者だけでなく、その土地に鎮座する神の力も働いて成就されると考えられていた。 大国主神の別名に「大国魂神」「顕国魂神」があるが、これは各地の国魂神を大国主に習合させたものと考えられている。各地の神社で開拓の祖神として祀られている大国主は、元々はその地の国魂神であったと考えられる。 「国魂(国霊)」が社名に含まれる、または神名に「国魂(国霊)」がつく祭神を祀る神社には以下のようなものがある。としてその中に大國魂神社 (府中市)が記載されている。 |
大國魂神社のWEBから 祭神:大國魂大神 大国主命と同神とされる。 由緒(要約):景行天皇41年(111年)5月5日 創立 大化元年(645年) 武蔵国の国衙の斎場となり「武蔵総社」となる。 その後に武蔵国内の著名の神、六所を奉祀して、社号が「武蔵総社六所宮」となる。 寿永元年(1182年) 源頼朝が政子の安産の祈願をした。 文治2年(1186年) 源頼朝が社殿を造営した 明治4年(1871年) 社号を「大國魂神社」に改めた。 |
町田市史(下巻)より要約 慶安3年(1650)3月観泉寺の法院俊誉により創立したので、飯森明神と称していた。文化7年(1810)11月に社殿の再建を行い、除地高二斗四升の寄進を受けた。末社に神武天皇神明社、諏訪社、八坂神社、金刀比羅社、日吉社が奉斎してある。 一年間の豊作祈願の「風まつり」の神事を8月28日に行っている。大正初期まであった獅子舞の行事は今はなくなっている。 現在の社殿は昭和41年9月18日に建立したもの。 祭神は興津彦命、例祭日は毎年9月18日。
ふるさと真光寺(真光寺町内会編)より要約 境内社(大正2年に全ての境内社を合祀したのに何故現在境内社があるのか分からぬが) |
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拝殿と本殿の屋根の造りは他の神社と趣が違う。 又境内にはよく見られる狛犬の像がない。![]() |
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町田市名木百選 ケヤキ![]() |
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文献調査 皇国地誌・村誌 武蔵國多摩郡真光寺村(明治14年4月) 飯守社 式外村社 本村中央にあり、祭神興津彦命、勧請詳ならず、例祭9月18日、社地中老松30株杉5株槻1株椵1株あり蓋し200年余のものなり。とある。 槻(つき)はニレ科のケヤキのこと。椵(ゆこう)酢みかんのこと。 武蔵國多摩郡真光寺村村誌(明治21年3月) 神社 飯守神社。 祭神 興津彦命。 社格 村社式外。 創建年月 不詳。 氏子 43戸。 末社 神武天皇神明社、諏訪社合殿一字、八坂神社一字、金刀比良社一字、日吉社一字。 現在祠掌 伊藤倭文満 とある。 |