杉山神社(三社宮)

 
杉山神社は鶴見川と境川に挟まれた地域にのみ分布するという不思議な神社。
元は小川村杉山神社だったが。昭和49年に土地区画整理のためこの地に遷宮された。
境内は整っているが古色はなく、住宅が周囲まで迫っている。
 
町田市史(下巻)から要約
創建の年代は明らかでない。社宝の棟札には文化4年(1807)11月に杉山大明神、三嶋大明神、山王大権現3社を現在地に奉斎したとある。
天保14年(1843)6月頃よりは除地であった。文久3年(1863)9月には社殿を再建し、昭和5年12月27日にも改築している。
境内地に地頭の大久保勘三郎藤原忠寿の名のある天保11年6月の石柱がある。
現在の社殿は昭和49年9月27日の建立で鉄筋コンクリート流れ造りである。
杉山神社は昔より武蔵國の古社であるが、同名の社がおびただしく、どの社が延喜式所載のそれか決定が困難であった。「新編武蔵風土記稿」には都筑郡24社、橘樹郡37社、久良岐郡5社、南多摩郡6社、計72社とある。現在の明細帳には横浜市37社、川崎市3社、町田市5社、稲城市1社で計46社である。
 
町田町の歴史第二巻(市教育委員会編)から要約
鎮座年代が不明。 ただ文化4年11月領主大久保矢九郎の除地に再建し、更に、文久巳亥年9月(1861)再々建したことが分かるのみ。再建以前は四尺五寸に二尺五寸の小社に覆屋があり、福寿院持ちということだけが文面にあるのみ。

町田風土記(森山兼光)から
小川(現在 つくし野)には文化4年(1807)に杉山・三嶋・山王の3社が杉山神社の棟札によれば奉斎されている。なお、天保14年(1843)の村差出書には仙元宮(浅間宮)が祀られていた。

小川郷土誌(小川郷土誌編纂委員会)から要約
杉山神社:
都筑郡に24社、橘樹郡に37社、久良岐郡に5社、南多摩郡に6社と記されている。小川村(現つくし野)杉山神社はその南多摩郡6社中の1社である。しかし、南多摩郡と言っても平尾を除いて残り5社全部町田市の成瀬、金森、三輪及び小川村にあり、この地方は往古都筑郡とされていたので、むしろ都筑郡のうちに入れて考えるべきであろう。
杉山神社読日本紀に「承知5年(839)2月庚戌武蔵國都筑郡杉山神社預之官幣以霊験也」とあり、更に「承知15年(849)5月庚辰奉授武蔵國無位杉山名神従五位下」と記さた時から記録上に現れたのだから、その本社は平安朝の初期既に奉祀せられていた。従って小川村の杉山神社も相当古いと見なければならない。
しかし、記録されているところによると、文化4年卯年(1817)11月本宮再建(棟札)文久3亥年(1863)9月再建(棟札)とあるだけで、斎祀年代は不明である。祭神は日本武尊、五十猛命、高坐雲命などいろいろあるが、小川の杉山神社は日本武尊で大山祗命と木花開邪姫命とが配祀されている。もと地頭大久保矢九郎の除地であった。
新編武蔵風土記稿には「中島にあり。勧請の年代を伝えず。社は四尺五寸に二尺五寸覆屋あり。神体は白弊なり。福寿院持」としるされている。
明治36年頃山王神社、三島神社が合祀され、摂社となった。昭和5年幣殿、拝殿、覆屋等が改築され、昭和11年神明造りの鳥居1基、御手洗及水屋が小川村氏子によって寄進された。
山王神社:新編武蔵風土記稿に「字谷にあり小祠にて覆屋あり。これも白弊を神体となす。福寿院持ちなり。杉山、三島、山王の3社はいずれも村の鎮守なり、年々9月26日次第して1社づつ祭りを行う」と記載している。
この神社は始め山王塚にあったが、いずれの時代かに小川に移され、更に現在は杉山神社境内に奉祀となっている。武蔵風土記には「字谷」にあると記しているから、山王塚から小川に移されたのは少なくとも文化文政以前である。
三島神社:新編武蔵風土記稿に「字中島にあり。勧請の年代を伝えず。社に向かって右の方に池あり。廻りは9間ばかり、この水いかなる炎暑といへどもかるることなしといふ。 福寿院持。 末社、稲荷社、社に向かって左の方にあり、小社なり。白弊を神体とす。」と記されている。ナヅナ長者伝説に関係ある神社で、江戸時代には杉山、山王の2社と並んで、小川村の信仰篤かったお宮のようであったが、今では杉山神社に合祀されている。
大神宮:小川村には武蔵風土記稿に記載の大神宮があった。「社地8畝、同辺(杉山神社)にあり。小社にて上屋あり。白弊を神体とす。社頭に大松2株あり一は囲一丈ばかり、一は八尺ばかりなり」と、素晴らしく大きな松があったことが分かる。今は杉山神社境内の小祠に祀られている。

上述の風土記記載の三嶋・山王の2社は境内の由緒書きに記載されているが、浅間宮は記載がない。境内の祠の内、中がのぞけたのは山神神社と稲荷2社であり、浅間宮については不明である。
 

祭神 祭神:日本武尊
合祀祭神:事代主命(三島大明神)
合祀祭神:大山咋命(山王大権現)   
由緒

(要約)

文化4年(1807年)11月再建。 天保11年(1840年)6月地頭大久保勘三郎藤原忠寿と家臣下沢喜多録藤原寿利にて再建した。
明治36年10月26日拝殿新築。明治38年9月三島大明神・山王大権現を合祀した。
 
神官 常駐せず。 宮司:町田市能ケ谷 池田氏

所在地 町田市つくし野2丁目8番3号

本殿右手に右の写真のように小さな祠が4祠ある

中がのぞける3祠の祭神である・
 
杉山神社について
ネットで杉山神社を検索すれば沢山のサイトが見つかる。それらを簡単に纏めると、
1)杉山神社は武蔵の国にのみ存在し72社あった。(町田市内に5社ある)
2)由緒がはっきりしている社はない。
3)祭神は五十猛命、日本武命を祀っているところが多い。
新編武蔵風土記稿』との関係
杉山神社の鎮座場所に新編武蔵風土記稿の73カ所の杉山神社が記載されているが、この神社は67番のもの。