山王山日枝神社

 
鶴間郷土誌(井上茂留著)より
日枝神社(山王権現)。  祭神:猿田彦命
日枝神社は、かって、井上惣太郎家の産土神であった。惣太郎家の祖・俗称下の紺屋全盛の時代、鬼門除けに勧請したものと伝えられる。明治の地租改正の時国有となった。惣太郎家の所有であった証左としてこの境内地の周囲の殆どが惣太郎の後継である井上宗重家の所有地であり、明治の土地台帳にも明記されている。
昭和46年鶴間熊野神社新築の折に熊野神社内殿をもらい受け、日枝神社の内宮殿として安置した。宮殿にある紋章は笹に根竹。
 
祭神 猿田彦命
由緒 由緒書きがないので詳細不明
神官 不明

所在地 町田市鶴間1343番地

右の写真のように境内に合祀されている鳥居と祠があるが詳細不明。
 
町田市消防団WEBから
熊野神社の末社として江戸時代中期に創建されたものと考えられます。 祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)=(日吉大社の西本宮) 社殿内の本殿は、昭和46年、熊野神社より移設され、「板ぶき目板打」屋根の建築様式と彫刻等含め都の文化財級の貴重なものです。 棟板には、享保11年(1726)「大工、藤波七郎衛」等の墨書があります。なお、棟の正面には、巴紋の左右に「笹に根竹(ねたけ)」の家紋があります。
 
Wikipediaから
大山咋神(おほやまくひのかみ)を主祭神とし、相殿に国常立神(くにのとこたちのかみ) 伊弉冉神(いざなみのかみ) 足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)を祀る。

日吉神社・日枝神社(ひよしじんじゃ、ひえじんじゃ)あるいは山王神社などという社名の神社は山王信仰に基づいて日吉大社より勧請を受けた神社で、大山咋神と大物主神(または大国主神)を祭神とし、日本全国に約3,800社ある。神仏習合期には山王(さんのう。山王権現、日吉山王など)と称され、今日でも山王さんの愛称で親しまれている。猿を神使とする。
山王とは、滋賀県大津市坂本の日吉(ひえ)神社(大社)の別名である。

日吉神社は、もともと近江国日枝山(ひえのやま:後に比叡山の字が充てられた)の神である「大山咋神」(おおやまくいのかみ)を祀っていたもので、後に近江京遷都の翌年である天智天皇七年(668年)、大津京鎮護のため大和国三輪山(三諸山(みもろやま)とも)の大三輪神(おおみわのかみ)、すなわち大物主神(おおものぬしのかみ)を勧請しともに祀られた。

比叡山に天台宗の延暦寺ができてからは、大山咋神・大物主神は地主神として天台宗・延暦寺の守護神とされた。唐の天台山国清寺が地主神として「山王弼真君」を祀っていることに因み、延暦寺ではこの両神を「山王」と称した。

そして天台宗・延暦寺の守護神としての崇敬が、山王信仰へと発展しやがては「山王神道」とも呼ばれる信仰をも派生させた。山王神道では山王神は釈迦の垂迹であるとされ、「山」の字も「王」の字も、三本の線とそれを貫く一本の線からなっており、これを天台宗の思想である三諦即一思想と結びつけて説いた。また天台密教は、鎮護国家、増益延命、息災といった具体的な霊験を加持祈祷によって実現するという体系(使命)を持ち、山王にも「現世利益」を実現する霊威と呪力を高める性格を与えたようである。

天台宗が全国に広がる過程で、山王信仰に基づいて日吉社も全国に勧請・創建された。日吉(ひよし)神社・日枝(ひえ)神社、あるいは山王神社などという社名の神社は、日本全国に約3,800社ある。神仏習合期には山王(山王権現・日吉山王など)と称され、今日でも山王さんの愛称で親しまれている。日吉神社の神使は猿であるが、猿との関連性についてはよく分かっていない。おそらくは原始信仰の名残りではないかと推測されている。