日枝神社

 
町田市誌から要約
山王(山王社)は修験者(山伏)の活動と密接な関係があると思われる。山王社は伝教大師が勧請した比叡山の守護神で、この神は山王権現と呼ばれて天台密教の教義と結びつけられ、天台宗の修験者の活動につれて全国に多く勧請された。
常盤町下常盤の山王社(日枝社)には永禄元年(1558)持侍彦根氏の奉納した御正体(神体)が祀られている。この御正体は徑31センチ、青銅製・円板状をなし、中央に山王権現の神像と二猿を鋳出し、その両側にそれぞれ「三王大権現 永禄元年」「上小山田常盤 彦根勘十郎・彦根庄次郎」と陰刻してあり、中世末における市域の山王信仰を明示する天で重要であり、上小山田町の鎮守神明神社に合祀されて、今も崇敬の対象になっている。
 
祭神 大山 咋神 (おおやまくいのかみ)
由緒 永禄元年(1558年)に常盤の集落に鎮座されていたといわれる。明治39年から昭和52年まで日枝神社は神明神社内に移され、境内社に 寓されていたが、町田市制に伴う町名分割により日枝神社は常盤の鎮守としてこの地に再び還ってきた。平成5年宗教法人の認証。
社殿は平成11年に完成。
神官

入り口の掲示には 常盤鎮守日枝神社 とある。

常駐せず 宮司:井上 良胤

所在地 町田市常磐町字23号3257番

境内に常盤不動尊もある。
 
町田市無形文化財   庚申塔
天和3年 1683 勢至・三猿「奉納庚申供養……」 笠付型 町田市小山町 日枝神社
 
Wikipediaから
大山咋神(おほやまくひのかみ)を主祭神とし、相殿に国常立神(くにのとこたちのかみ) 伊弉冉神(いざなみのかみ) 足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)を祀る。

日吉神社・日枝神社(ひよしじんじゃ、ひえじんじゃ)あるいは山王神社などという社名の神社は山王信仰に基づいて日吉大社より勧請を受けた神社で、大山咋神と大物主神(または大国主神)を祭神とし、日本全国に約3,800社ある。神仏習合期には山王(さんのう。山王権現、日吉山王など)と称され、今日でも山王さんの愛称で親しまれている。猿を神使とする。
山王とは、滋賀県大津市坂本の日吉(ひえ)神社(大社)の別名である。

日吉神社は、もともと近江国日枝山(ひえのやま:後に比叡山の字が充てられた)の神である「大山咋神」(おおやまくいのかみ)を祀っていたもので、後に近江京遷都の翌年である天智天皇七年(668年)、大津京鎮護のため大和国三輪山(三諸山(みもろやま)とも)の大三輪神(おおみわのかみ)、すなわち大物主神(おおものぬしのかみ)を勧請しともに祀られた。

比叡山に天台宗の延暦寺ができてからは、大山咋神・大物主神は地主神として天台宗・延暦寺の守護神とされた。唐の天台山国清寺が地主神として「山王弼真君」を祀っていることに因み、延暦寺ではこの両神を「山王」と称した。

そして天台宗・延暦寺の守護神としての崇敬が、山王信仰へと発展しやがては「山王神道」とも呼ばれる信仰をも派生させた。山王神道では山王神は釈迦の垂迹であるとされ、「山」の字も「王」の字も、三本の線とそれを貫く一本の線からなっており、これを天台宗の思想である三諦即一思想と結びつけて説いた。また天台密教は、鎮護国家、増益延命、息災といった具体的な霊験を加持祈祷によって実現するという体系(使命)を持ち、山王にも「現世利益」を実現する霊威と呪力を高める性格を与えたようである。

天台宗が全国に広がる過程で、山王信仰に基づいて日吉社も全国に勧請・創建された。日吉(ひよし)神社・日枝(ひえ)神社、あるいは山王神社などという社名の神社は、日本全国に約3,800社ある。神仏習合期には山王(山王権現・日吉山王など)と称され、今日でも山王さんの愛称で親しまれている。日吉神社の神使は猿であるが、猿との関連性についてはよく分かっていない。おそらくは原始信仰の名残りではないかと推測されている。