日枝社

 
曹洞宗三枝山観性寺の境内あり、社務所はお寺にある。
 
成瀬郷土史研究会「成瀬」から要約
「山王様」と称され、観性寺の傍らにあるが、元は近所の山にあった。「山王様」の氏子は谷戸上合の人々であり、その人たちが山王様を維持管理している。山王様の世話人は観性寺の世話人と同じ人である。
 
祭神 主祭神:大山咋神(おおやまくいのかみ)
由緒 古来、山王・山王権現・山王二十一社などと言い、近江國坂本の山王権現を勧請したもの。山王はもともと霊山を守護する神霊を言い、山神の意味。大山咋神は古事記には神代から比叡山に鎮座した地主神。
神官 常駐せず。

所在地 町田市成瀬2741-9

日枝社の鳥居は観性寺の対面にあり階段を上った右手に拝殿がある。右は観性寺で右端に社務所がある。
 
Wikipediaから
大山咋神(おほやまくひのかみ)を主祭神とし、相殿に国常立神(くにのとこたちのかみ) 伊弉冉神(いざなみのかみ) 足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)を祀る。

日吉神社・日枝神社(ひよしじんじゃ、ひえじんじゃ)あるいは山王神社などという社名の神社は山王信仰に基づいて日吉大社より勧請を受けた神社で、大山咋神と大物主神(または大国主神)を祭神とし、日本全国に約3,800社ある。神仏習合期には山王(さんのう。山王権現、日吉山王など)と称され、今日でも山王さんの愛称で親しまれている。猿を神使とする。
山王とは、滋賀県大津市坂本の日吉(ひえ)神社(大社)の別名である。

日吉神社は、もともと近江国日枝山(ひえのやま:後に比叡山の字が充てられた)の神である「大山咋神」(おおやまくいのかみ)を祀っていたもので、後に近江京遷都の翌年である天智天皇七年(668年)、大津京鎮護のため大和国三輪山(三諸山(みもろやま)とも)の大三輪神(おおみわのかみ)、すなわち大物主神(おおものぬしのかみ)を勧請しともに祀られた。

比叡山に天台宗の延暦寺ができてからは、大山咋神・大物主神は地主神として天台宗・延暦寺の守護神とされた。唐の天台山国清寺が地主神として「山王弼真君」を祀っていることに因み、延暦寺ではこの両神を「山王」と称した。

そして天台宗・延暦寺の守護神としての崇敬が、山王信仰へと発展しやがては「山王神道」とも呼ばれる信仰をも派生させた。山王神道では山王神は釈迦の垂迹であるとされ、「山」の字も「王」の字も、三本の線とそれを貫く一本の線からなっており、これを天台宗の思想である三諦即一思想と結びつけて説いた。また天台密教は、鎮護国家、増益延命、息災といった具体的な霊験を加持祈祷によって実現するという体系(使命)を持ち、山王にも「現世利益」を実現する霊威と呪力を高める性格を与えたようである。

天台宗が全国に広がる過程で、山王信仰に基づいて日吉社も全国に勧請・創建された。日吉(ひよし)神社・日枝(ひえ)神社、あるいは山王神社などという社名の神社は、日本全国に約3,800社ある。神仏習合期には山王(山王権現・日吉山王など)と称され、今日でも山王さんの愛称で親しまれている。日吉神社の神使は猿であるが、猿との関連性についてはよく分かっていない。おそらくは原始信仰の名残りではないかと推測されている。