鹿島神社

 
市立図書館で調べて、その昔成瀬城の守護神だったとされる鹿島神社が現存しているらしいと知り、探しに出かけ2回目に見つけた。

「成瀬」から
 当社はいま、鹿島地区の中にあるが、以前は、周囲一面水田であった。昭和13年(1938)落雷により、社殿を焼失してしまい、棟札を始め歴史を語るすべてを失った。御由緒を知ることができないが、近隣の人々は、今も、成瀬城の守護神であったとして、講内の守護神とし祀りあがめている。
 茨城県の鹿島郡鹿島町宮中に鎮座する、鹿島神宮は天照大神の命により、日本国の統一建国につくされ、さらに、関東地方を鎮撫開拓された祖神、武甕槌大神(タケミカズチノオオカミ)を祀っておられ、大神の神剣フツノミタマノツルギの霊威により、武道の祖神と仰がれていることから、往時の武士達がお祀りしたのではないだろうか。そして落城後も近くの会下山、原の住民達が守神としてお祀りしているのではないだろうか。
恩田川の沿岸、水田の中にお祀りしてあることは、鹿島神宮が大平洋の荒波の打寄せる鹿島灘と、北浦、霞浦、利根川の水郷を望む位置にあることに因み、選ばれたものであろう。近くの相模原市の谷口と古渕にも、鹿島神社があるがいずれも境川の水辺にある。
伝えられるところによると、杉山神社よりも創建が古く、社域も1000平方メートル (一反)あったという。
例祭日は9月29日であったが、近年は4月29日に改め、氏子達は毎年必ず祭典を行なっている。

町田氏の歴史 第二巻 (S32市教育委員会編)から
成瀬の城山は、南第二小学校の真向かいに田圃をへだててある台地ですが、城山に向かって右の岡の根本に、根小屋と言う地名があり、この地名は城のあったところにはたいていあるものです。即ち、その城を守る人々や家族のものたちが住んでいた小屋や家があったところから起こった地名なのです。そしてこの根小屋から丁度真北の田圃の中に、小さい鹿島の小祠が祀ってあり、土地の人々は、この小祠が成瀬最古のお宮だと云っている。お宮は終戦後間もなく落雷で焼けたが、背後のツバキや祠前のツゲ等の古木を見ると、相当の年月を経ていることが分かります。
それに、鹿島祠の祭神は言うまでもなく武神ですから、城址の鬼門に建てたお宮に相違ありません。又、根小屋の裏側の山腹に、古い稲荷祠がありますが、これなども、成瀬の城山と何か関係のあるお宮かも知れません。

 
恩田川沿いの水田の中の島状の地にあったとのことであるが、埋め立て整備された住宅地の中に一戸分だけ空き地があり、そこに鎮座していた。  上述の町田の歴史には、背後のツバキ祠前のツゲとあるが、ここには背後にツバキはあるが、祠前にツゲはない。この位置ではなく、宅地造成に伴い位置が変えられたのかも知れない。
 
祭神 武甕槌大神(タケミカズチノオオカミ)
由緒  
神官 不明

所在地 町田市成瀬

 

分譲住宅地の中に1戸分のスペースがあり、そこだけぽっかりと空いていた。覆い屋の横には松、後にはツバキの木いずれも古いものには見えない。 内部には木製の祠があり御札らしきものはある。祠左右に供えてある木(サカキ?)の葉は枯れていた。(80近くの神社を見て回っているが枯れ葉はここだけである)