菅原神社

菅原神社のWEB SITE

町田三天神(菅原神社・町田天満宮南大谷天神社)の一つ

Wikipediaから
天満宮(てんまぐう、てんまんぐう)は、菅原道真を祭神とする神社。政治的不遇を被った道真の怒りを静めるために神格化し祀られるようになった御霊信仰の代表的事例である。「天神」(てんじん)、「天神さん」とも呼ばれる。社名は、天満神社(てんまんじんじゃ、てんまじんじゃ)、祭神の生前の名前から菅原神社(すがわらじんじゃ)、天神を祀ることから天神社(てんじんしゃ)などとなっていることもあり、また、鎮座地の地名を冠していることもある。ただし、「天神社」については、天津神を祀る神社という意味のものもあり、これは菅原道真とは関係がない。
道真を「天神」として祀る信仰を天神信仰という。
道真が亡くなった後、平安京で雷などの天変が相次ぎ、清涼殿への落雷で大納言の藤原清貫が亡くなったことから、道真は雷の神である天神(火雷天神)と同一視されるようになった。「天満」の名は、道真が死後に送られた神号の「天満(そらみつ)大自在天神」から来たといわれ、「道真の怨霊が雷神となり、それが天に満ちた」ことがその由来という。
 
町田市史(上巻)から要約
本町田の鎮守で旧字向村に鎮座。同地の旧家大沢家の「大沢系図」によると、当社神体の天神像は由木領大沢村(下小山田町)に住した大沢七郎正純の守本尊で、その子孫が正次のとき正長元年(1428)現在地の一色に移り、その子孫の大沢玄蕃が寛永7年(1630)新たに渡唐天神像を造って安置し、地所を寄付したという。 従って、当地の地侍大沢氏の祀った氏神が江戸初期になって一村の鎮守に発展したものとみえる。
 
渡唐天神像について
これについて調べたが、多くは「絵」であるが「像」もある。神社の由緒書きにも「刻ませて」とあるので「像」なのであろう。渡唐天神像とは、菅原道真が中国に渡り、宋時代の仏鑑禅師と問答を交わしたという伝説にもとづく特殊な天神像。
 
町田市史(下巻)から要約
嘉永7年(1630)、神奈川県青木山西向寺の開山である寒江和尚作の渡唐天神像とともに大沢玄蕃が境内地を寄進して建立したもの。その天神像は、先祖の大沢七郎正純の守り本尊である。寛文5年(1665)には「天神宮寺」とあり、享保8年(1723)4月と天明5年(1785)4月に社殿の再建をしたことが社宝の棟札にある。社宝に作者不明の右大臣・左大臣の座像があり本殿の左右に置かれている。町田の三天神の一社である。
境内末社に防火の守り神愛宕社が奉斎してある。
例祭日は毎年8月25日。
 
湯島天神のWEBから
室町時代に、禅宗の僧侶の間で渡唐天神の信仰が起こりました。京都の東福寺の開山、聖一国師が宋から帰国して博多の崇福寺に住したとき、夢に菅公が現れ禅を学びたいと求めた。国師は「私は宋の仏鑑を師と仰いだ。この人に参禅するとよい。」と答えると菅公は神通力で宋に飛び仏鑑から教えを受けると、その夜のうちに再び国師の前に出現して会得したことを報告した。という説話により、文道の神として崇敬されてる“天神さま”と仏鑑禅師を結びつけ禅宗の普及をはかったものとされています。
この説話に基づいて多くの渡唐天神の像が描かれました。仙冠をかぶり中国風の服を着て、手に一枝の梅をもつポーズが特徴です。

町田風土記(森山兼光)から
菅原神社は寛永7年(1630)に建立され、寛文5年頃は天神宮、天保14年頃は天満宮、明治3年頃は天神社と称されていた。

東京梅風会(都内34社の天神さまによる会)のパンフレットより
天神さまの歴史
「天神さま」と言えば、受験の時など一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか? 現在「天神社」「天満宮」「北野神社」「菅原神社」などにまつられる「天神さま」のほとんどが、菅原道真公をおまつりしています。 本来、「天神」とは雨をもたらす農耕の神として崇められた神のことでした。 道真公亡きあと起こる宮中の落雷や天災に対して、人々は道真公の怒りとして恐れ「天神」という高い位をつけて都でも手厚くおまつりしたのが、北野天満宮の始まりです。
また、亡くなられた地では道真公のそのお人柄を親しみ墓所が整えられました。これが現在の太宰府天満宮です。この二つのお社がルーツとなり多くの天神さまが全国でおまつりされるようになりました。 時を経て江戸時代ともなると、「寺子屋」など学問は民衆でも行えるものとなり、子供たちは道真公のように賢くなりたいと「学問の神・天神さま」として崇められるようになりました。

 
祭神 菅原道真公
由緒

(要約)

室町期永享年間本町田村の大沢左近正次氏は先祖が 鎌倉期に京都北の天神に詣でた折に得た天神像をここ井出の沢の山上に奉安した。 江戸期初頭 寛永7年(1630年)、その子孫大沢玄蕃氏が新たに渡唐の天神像を刻ませてここに奉安し、土地を寄進し本町田の鎮守としたのが縁起である。
現拝殿は天明5年(1785年)の築造で老朽化したので、平成25年を目指して改築計画が進められている。
同じく菅原道真公を祀る町田天満宮南大谷天神社とともに町田三天神の一社である。
例祭日:8/25
神官 常駐 池田 豊彦

所在地 町田市本町田802
町田市名木百選 サカキ
2012/6/10
拝殿の改造工事が昨年夏から始まっていたが、ようやく上半身が姿を見せた。 7月には完成するようだ。 なお上の写真にある名木百選のサカキは拝殿前に移植された。本殿の銅屋根は昔のままで色の対比が面白い。

道路に面して朱色の鳥居があり先方に階段がある。
拝殿の左に愛宕社が祀られている。創建年代:不詳、祭神:迦具土神(かぐつちのかみ)とある。

 

 
2016年12月藤木稲荷が遷座した    
 
2011年初詣
ここは大行列で道路を曲がって歩道までの人であった。境内では全日本戸山流居合道連盟の方々が抜刀術の奉納をしていた。