淡嶋神社

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淡嶋神社(あわしまじんじゃ)は、淡島神を祀っている神社。「淡嶋」以外に、淡島、粟嶋、粟島などの字が当てられている。全国の淡嶋神社の総本社は和歌山県和歌山市加太の淡嶋神社 (和歌山市)。
淡島神(淡島明神)の本体については様々な伝承がある。有力な説は以下の3つである。
1つ目の説は、少彦名神のことであるとするものである。少彦名神が医薬の神とされていることや、古事記や伯耆国風土記に、国造りを終えた少彦名神が粟島(あわしま)から常世の国へ渡って行ったとする記述があることによる。加太淡島神社を始めとする多くの淡島神社がこの説を採っており、祭神を少彦名神、および、ともに出雲の国造りをした大国主としている
2つ目の説は、住吉明神の后であるとするものである。淡島神は天照大神の6番目の子で、住吉明神に嫁いだが、婦人病にかかったことにより淡島に流されてしまったため、そこで婦人病の人々を救うという誓いを立てたという。これは、淡島(和歌山市加太の対岸の友ヶ島)が住吉神社の社領であったことから後世に附会されたものと考えられるが、「淡島神は女神だから女性を守る」という信仰も根強い。
3つ目の説は、日本神話に登場する「淡島」が淡島神であるとするものである。国産みの段に、イザナギ・イザナミ二神の2番目の子として「淡島」が登場する。しかし、1番目の子である蛭子と同じく、不具の子であったために葦の舟に乗せて流され、子の数には数えないとしている。
2番目と3番目の説は、「舟に乗せて流された」という点が共通している。少彦名神も、神話における登場は舟に乗って海のかなたから来たというものであり、舟でやって来るということは共通している。
 
町田市史(下巻)から要約
創建の年代は明らかでない。もとは八幡神社(矢部八幡か?)の飛び地にある境外の末社であったが、昭和42年(1967)に宗教法人として設立されたもの。和歌山市の加太町に鎮座している淡嶋明神を勧請したもので、婦人病に霊験のある神として信仰され、婦人の守り神である。 「淡嶋さま」と称する。例祭日は毎年10月1日。

町田風土記(森山兼光著)から
根岸の神社:武蔵風土記稿には山王・天神・淡島・天縛・神明・御嶽・稲荷の7社が記されていますが、和歌山・加太の淡島明神を勧請(年代不詳)した淡島神社は「淡島さま」と称され、婦人病に霊験のある神として信仰されています。

 
祭神 少彦名命(すくなびこなのみこと)    医薬の神
天照皇大神(あまてらすおおみかみ) 神社の総本神
菅原道真公                学問の神
由緒

(要約)

起源は不詳だが、享保の頃既に祀られた碑がある。更に文政年間に現祭神の他数体の神を祀ってご神体とした奉納札が現存する。少彦名命を祀った淡嶋神社は和歌山市加太を本宮とするが全国的には少く東京都にはここしかない。縁結び・子宝・安産との御利益があり女性に親しまれている。
明治の神仏分離令により独立した。
神官 常駐せず 宮司:不明

所在地 町田市根岸町457番

木はあるが鎮守の森にはほど遠い。拝殿と本殿は分かれている。境内には本殿の左に稲荷神社が祀られている。
 
昭和38年発行の「忠生村誌」には次のようにある

祭神は紀伊國加太神社と同じ少彦名命。 矢部八幡の末社で、婦人の疾病や、良縁に霊験があるといわれる。

この社の神体は両性をあらわす石器と伝えられ、ある時代の人身崇拝を物語るものらしいです。