椙山神社(椙山大明神)

 
「都筑の郷」 杉山神社の鎮座場所から
三輪村:三輪村は、郡の東南都筑郡の界にあり、村名の起るを詳にせず、家数百二軒所々に散住す、東西二十町ばかり、南北三十町ほど、水田は三分の一にして、陸田その二にあたれり、又村内に一條の往還の道通ぜり、西の方岡上村より入て村にかゝること二十町ばかりにして、東の方麻生村に達す、道幅九尺ほどこれ神奈川宿への道なり、
杉山社:字二ももにあり、
高蔵寺の持にして御朱印地のつゞきなり、神体は鏡の如く円なる状にて、径一尺五寸ばかりの鋳物なり、中央に不動の像を鋳出して上に悉曇シッタンあり、その左右に日月の形あるしるして云、
 奉掛武州多磨之郡下三輪総鎮守于時寛文十一年(1671)亥年別当高蔵寺云云、さればその頃の勧請なるにや、社は宮作にして覆屋あり、前に鳥居をたつ、例祭九月十九日なり。
 
町田市史(下巻)より要約
元慶元年(877)のころ、大和國城上郡三輪里大物主神社(奈良県磯城郡大三輪町)の孤峰峻抜鬱蒼たる三輪神山によく似ているところからニモモ(三諸山みもろやま)のこの地に勧請したとの伝承がある。
神鏡のご神体には「武州多摩郡三輪村、寛文四甲辰歳正月大吉日、別当高蔵寺冶工西村和泉守作」と銘のある不動明王の掛仏があり、内陣の天井板には水墨画による舟橋菅原有策の筆による神竜の画がある。
現在の社殿は昭和47年10月28日の新築のもの。
永和年間(1375〜8)または永享5年(1433)に記したと伝えられる「安居院神道集」には、「武蔵六所宮(府中市大国魂神社)の六宮は椙山明神と申す、本地仏は大聖不動明王是也」とあり古い社である。
祭神は日本武尊、大物主命を奉斎したもの。  例祭日は毎年9月28日。

町田風土記(森山兼光著)から
元慶元年(877年)創建と伝えられる杉山神社と熊野神社がある。 明治21年の「村誌」に記されている大戸社は廃されている。(廃止年代不詳)

 
祭神 日本武尊   (やまとたけるのみこと)
大物主命  (おおものぬしのみこと)
意富斗能地神 (おおとのぢのかみ)
由緒

(要約)

「古事記」や「日本書紀」にも記されている大和の国の三輪の里に鎮座する大神(三輪)神社のご神体である秀麗な三輪山にこの付近の山容がよく似ていることから元慶元年(877)当地に勧請されたとの伝承がある。
ご神体は不動明王が鋳出されている鏡で、裏面に下三輪総鎮守寛文4年(1664)大吉と刻んである。明治末に下三輪大戸にあった大戸明神が合祀された。
神官 常駐せず。 宮司:池田豊彦

所在地 町田市三輪町1618番

拝殿内部、一の鳥居、二の鳥居。一の鳥居の額には「椙山大明神」とある。

 

拝殿、本殿の先に境内社の赤い鳥居が見える。赤い鳥居は西谷戸稲荷である。その左に小さな石の祠がある
 
町田の民話と伝承(町田市文化財保護審議会編)から
町田市三輪町について、江戸時代に編纂された「新編武蔵風土記稿」によると、「三輪村は、家数102軒。東は麻生村、東南は寺家村、南は奈良村、西は岡上村に接し、村の境界は多く都筑郡に囲まれている。ただ北方でわずかに郡中の能ヶ谷村につづいている。」と、紹介されている。この頃、既に三輪村や奈良村が存在していたことが分かる。そして更に、水田は三分の一、陸田は三分の二、谷々から湧出する水を溜池にたたえて用水としている。田畑のほか山林、秣場(共有の草刈り場)があったと、当時の人々の生活の様子が描かれている。
現在の「山谷」の集落は、戸数12戸で、急激に発展した町田市にありながら、今なお緑豊かな閑静な谷間の里といった感じの、当時の三輪のむらを彷彿とさせてくれる。
三輪の地域は、古墳時代から奈良時代にかけて、急速に発展してきたことが、椙山神社や熊野神社の考察、並びに数多く発掘されている住居跡や横穴墓群等からも分かる。
上には熊野神社が、下には椙山神社があり、それぞれの村の鎮守として祀られてきた。先に述べた奈良県桜井市大字三輪に在る大神神社の社史には、武蔵国の三輪神社(上下二社)に、ご祭神(大物主神)を贈られたと明記されているとの事、つまり、上三輪の熊野神社と、下三輪の椙山神社は、大和の国の三輪明神、大神神社の末社であることが確認されている。
なお、古文書によると、第56代清和天皇の御代というから、千百年余り昔に遡るが、大和国城上郡三輪ノ里の大物主神社(大神神社)の社史として、斉藤氏、荻野氏を遣わされて移住させ、三輪の名称がつけられたと記されているとのことである。
現在の熊野神社と椙山神社は、いつ頃、どの様なことから改称されたのかは定かではないが、興味のあるところである。何れにしても、悠久の歴史の中で、国のまほろば大和と縁の深い三輪の町名が生まれたのは確かなようである。

 
杉山神社について
ネットで杉山神社を検索すれば沢山のサイトが見つかる。それらを簡単に纏めると、
1)杉山神社は武相地区にのみ存在し72社あった。(町田市内に5社ある)椙の字を当てているのはここだけである。
2)由緒がはっきりしている社はない。
3)祭神は五十猛命、日本武命を祀っているところが多い。
丘上畑地から石製剣形物、有孔物、円板等を出土して、祭祀遺構ではないかと考えられている。