七面大明神(三輪七面山)

 
Wikipediaから七面大明神を
七面大明神(しちめんだいみょうじん)は、その昔は七面天女と呼ばれ日蓮宗系において法華経を守護するとされる女神である。七面天女は、当初日蓮宗の総本山である身延山久遠寺の守護神として信仰されやがては日蓮宗が広まるにつれ、法華経を守護する神として各地の日蓮宗寺院で祀られるようになった。その本地は山梨県南巨摩郡早川町にある山で標高は1982mの七面山の山頂にある寺(敬慎院)に祀られている神。伝説によりと日蓮の弟子の日朗と南部實長公が登山して永仁五年九月十九日朝に七面大明神を勧請し たといわれている。古来より修験道にて有名な山であり、山頂に大きな池がありそのほとりには池大神が祀られてあるがその姿は役行者の姿である。
 
身延山に隠棲していて現在の妙石坊の高座石で日蓮読経と法話を拝聴するために度々現れた若い娘が、実は七面山に棲む竜の変化した姿であり、日蓮の教化により久遠寺の守護神として祀られるようになったという。七面天女の本体は、竜女とも吉祥天とも弁才天とも言われている。他には安芸の宮島の厳島弁財天ともいわれている。

この大明神は、一種の屋敷神と思われる。村社であれば文献等で調べることも出来るが、屋敷神については文献には記載されない。図書館で町田市史史史料集に次のものを見つけた。
明治21年3月 武蔵國南多摩郡三輪村誌 沢山城址の雑項
概地は往昔三輪三郎某居住し城墟にして、現今嶺上に七面社あり、創建年月未詳、城主三輪三郎の守本尊を祀る所なりと云伝ふ然とも伝記のよるものなし。

 
祭神 七面大明神
由緒 拝殿の横に立てかけられてある木片に由緒が書いてあるが、所々読めなくなっている。それによると・・・
当地は北條氏の本拠(初代早雲、氏綱、氏康、氏政、氏直、五代百年間)小田原城の重要な出城(見張城)沢山城址で豊臣秀吉に攻略された後、元禄12年(1702)に          建立された。即ち妙福寺の    として百姓与兵衛に下附されたもので祭神は七面大明神である。 大正12年大震災の時再建されたが老朽化したので昭和50年(1974)10月現在の社殿が新築された。
昭和55年5月吉日     山主 荻野忠任(83才)
祭礼 10月16日 18日の説もある
神官 不明

所在地 町田市三輪

木の皮を剥いだだけの鳥居が2本、結構大きな拝殿、内部の飾り付けには七面大天女と書かれた。私有地に建てられたもののようだが、道案内の立て札も完備しており、屋敷神とはせずここに掲載した。
 
この付近は荻野氏の土地と思われるが、町田の民話と伝承(町田市文化財保護審議会編)には・・・
なお、古文書によると、第56代清和天皇の御代というから、千百年余り昔に遡るが、大和国城上郡三輪ノ里の大物主神社(大神神社)の社史として、斉藤氏、荻野氏を遣わされて移住させ、三輪の名称がつけられたと記されているとのことである。
とあるので、この地の旧家であろう。
 
「新編武蔵風土記稿」
この堂は、荻野与兵衛が先祖の居跡にに造りしとぞ、今、その地を見るにそこばくの平地あり、東より南へ廻りては険岨にして、西北の方は、平地のつづきたり、そこには堀あととおぼしき所見ゆ、且此の辺城山などという小名あれば、かたがた古塁のあとなるべし・・・とあり、城跡であろうことは早くから知られていた。
七面堂については
村の中央なる山上にあり、2間に3間の堂なり、神体は女体にて座像なり、長さ一尺ほど、堂の前に石段34級ありて前に鳥居をたつ...とある。
このご神体は一般的には七面大明神、七面天女などと尊称され、日蓮宗総本山身延山久遠寺の鎮守で七面山に住む神とされている。
この像は、池上本門寺から拝領したもので、綺麗な女体像である。像の背面に元禄15年の墨書きがある。
例祭日は10月18日に行われ妙福寺住職の読経がある。