町田市を流れる境川

2007/1/15〜

 

境川の源流は町田市の北西部にある相原町を源流とし、武蔵の国と相模の国の国境を流れている。
大地沢の青少年センターから約400mの所に、境川源流がある。写真の立ち杭には境川源流地と書いてある。後ろの掲示板には、川の名については「新編武蔵」に「武相の境界となれる川なれば直ちにその名とせり」とあるところから古くから境川と呼ばれていたようである。流れは多摩丘陵と相模台地を区分する断層線上にある全長約52Kmの二級河川。
東京都(町田市)と神奈川県の都県境を流れ大和市、横浜市の境に沿い藤沢市の遊行寺の前を経て川名二丁目の新川名橋付近で柏尾川と合流し、さらに鵠沼付近で片瀬西浜(相模湾)に注ぐ。
源流から河口まで歩くと約15時間20分、歩数90365歩橋の数122。名前の一番多いのは坂井橋で七つあり、大正・昭和・平成橋と並んでいるところもある。 
と書いてある。 一歩あたり57.5cmは少々狭いかも・・・。

この写真正面からちょろちょろと絶えることなく水が流れていた。

青少年センターから駐車場まではこのように木歩道が敷設され、向かって右は水の流れ、左は段々畠に水を引き込み沼地にしてある。 昆虫類の観察地である。
青少年センター駐車場からは民家の裏を流れるので写真にはならない。この写真を撮った大戸のバス停で見えるようになる。
もう10時過ぎだというのに日影では霜が解けない。
大戸交差点近くの「かわさかいばし」付近。護岸はしてあるものの川に沿って歩ける所は無い。
相原幼稚園近くであるが、とにかく蛇行がものすごい。 この写真で川は右上から来て180°ターンして左上方に流れている。釧路湿原の蛇行を直線化して自然破壊を起こしているように、蛇行は自然との調和の結果だと思うのだが・・・。
武蔵丘アパート付近ではこの程度の整備はしてあるが依然として川沿いに歩く手段はない。その都度町田街道に出てはまた川に近づくしか手がない。
円林寺バス停から入ったところで200mほどこのような工事をしていた。こうすれば両岸に遊歩道も造ることが出来る。しかし蛇行を直線化するので傾斜が大きくなる。果たしてこれが正解なのだろうか。
家政学院入り口から相原十字路までの間は川の流れの直線化が終わっているようで、このように両岸に道路も付いている。
相原十字路を過ぎると再びこのようなことになっている。
JR横浜線付近でもこの状態。
八王子バイパス付近
橋本の寿橋からこのような両岸に道路が付いている。暫く行くと遊歩道になっている。写真は寿橋から見た下流。
京王線付近  ここで1日目の終わりとした。
大正、昭和、平成と3つの橋が並んでいる。その内の大正橋から見た上流側。このあたりは左岸(東京都側)は車の入れない遊歩道。右岸(神奈川県側)は一般道が川に沿っている。
昭和橋から
平成橋から
唯一工事中で歩けなかったところ。
常矢橋から見た上流側。 上流に工事中の場所が見える。 

根岸橋から上流は神奈川県の管轄で、下流は東京都の管轄になっている。
    

ここから防護柵が上品なものになっていると思うのは身贔屓なんだろうか。左岸は舗装してあり、右岸は舗装のないところがある。
新中里橋から見た上流側
JR横浜線
町田駅まで約2Kmの地点でやっと駅前のビルが見え始めた。
小田急線  やれやれやっとここまでたどり着いた。 ここで2日目の終わりとしよう。
踏破分割の3回目は町田から。 まずは歩き始めた千寿橋の遊歩道への車止め。 これはステンレス製である。ステンレスの製造に携わり、用途開発に苦労した身にとってこのような景観材への利用はうれしい限りであるが、先日八王子でこの車止めが大量に盗難にあったとか。 さては!とLMEを調べたらニッケル価格が最近暴騰しているのを知った。現役時代にはトン100万円くらいだったものが、今は400万にもなっている。ステンレスにはニッケルが10%近く含有しているので狙われるのであろう。
境橋から見たJR町田駅近くの行幸道路のケヤキ並木。町田市名木百選にも入っている。
境橋から約1Kmの間に橋はない。町田市側を歩いていたのに、道路に車が止まっている。町田市では川沿いの道は遊歩道で車は入れないようになっている。地図を見るとこのあたりは相模原市になっている。境川の河川改修工事で蛇行していた川を直線化した結果であろう。 東京都と神奈川県の姿勢の差が出ている。
遊歩道にはこのような案内板が所々に設置してある。
鶴間橋付近で突如このように護岸の形態が変わる。管理の所管元が変わっているのだろうが、表示は見つからない。
電車は東急田園都市線、上流の橋は二津屋橋とその先には16号線が見える。
鶴間1号橋を過ぎたあたりで再び護岸の形態と保護柵が変わっている。左が上流側で右が下流側である。
上の写真から300mほどでまたこのように護岸の形と保護柵が変わっている。東京都と神奈川県の差だと思うのだが表示はない。
さらに2〜300m下がったところにこの標識がある。
上の標識より少し下流側から撮したもの。右岸左岸とも標識から防護柵が変わっているのがよく分かる。 この標識をもって町田市は終了である。